【１３・失踪】
Ｂｌｏｓｓｏｍの解散コンサートツアーが始まった。最初のツアー地は東北地方の仙台市だった。
コンサート会場での打ち合わせの後、会場近くのホテルに戻る道すがら、タウン情報誌を熱心にめくっていたＭａｃｏが提案した。
「ねぇっ、このままホテルに戻るのもつまらないし、晩ご飯を食べに行こうよ！ 仙台の名物は…え〜と、牛タンだって！」
じゃ〜んと広げた雑誌には、美味しそうな牛タン定食の写真が載っている。他の３人は一斉に「わぁい！ 賛成っ！」と叫んだが、ただ１人、だけは頭を振った。
「…ごめん。食欲ないんだ。ホテルで待ってるよ」
「ちゃん…」
心配そうに表情を曇らせる仲間達に「ごめんね」と頭を下げる。
「仕方ないなー。じゃあ、ちゃんにはお土産を買って来るね」
Ｍａｃｏは諦めたように言うと、少女達はそろって「あとでね」とに手を振り、ホテルとは反対方向へ歩き出した。仲間達を見守ると、はきびすを返した。
夕暮れの街の中、忙しそうに通りすがる人達に混じり、コートの襟を立てて歩く。北国の寒さがひどく身にしみた。
「あのっ、すみませんっ！」
しばらく歩き続けたところ、突然、誰かに声をかけられ、はびっくりして立ち止まった。
振り返ると、中学生くらいだろうか、制服姿の見知らぬ少女が立っている。緊張のためか、頬を真っ赤に火照らせ、少女はひどく真剣な顔でに問いかけた。
「…“Ｂｌｏｓｓｏｍ”のメンバーのさん…ですよね!?」
「そうですけど？」
少女の表情がぱぁっと輝いた。おずおずと胸元に抱えていた白紙のノートを差し出す。
「あたしっ、さんのファンですっ！ もしよかったら…サインしてくださいっ！」
街頭や立ち寄ったお店で、ファンにサインや握手を求められるのは初めてではなかったが、デビューして半年のは、まだこんなふうに声をかけられる事に慣れていなかった。
「はい！」とぎこちなく答え、どぎまぎしながら、ノートを受け取る。サインペンは常備するクセがついていたので、バッグから取り出して、さらさらとサインした。
ノートを手渡すと、少女は壊れ物でも扱うような仕草で受け取った。胸元でぎゅっと抱きしめて、瞳をうるませる。そして赤い顔のまま言った。
「ありがとうございますっ！ あのっ…あたし、さんの歌が好きです！ 『ガラスの星座たちＳＰ』も観て、感動しましたっ！ …さんの笑顔を見ると、いつもすごく元気が出るっていうか、あたたかい気持ちになれるんですっ！ だから、Ｂｌｏｓｓｏｍが解散しても、がんばってください！」
一生懸命に伝えようとする言葉に、は知らず知らず微笑んでいた。
「ありがとう。そんなふうに言ってもらったのは初めてだよ。とっても嬉しい」
憧れのアイドルに微笑みかけられて、少女は耳まで真っ赤になった。
「…明日のコンサート、楽しみにしてます！」
そう言って、ペコリと頭を下げると、少女は弾む足取りで走って行った。もまた暖かい気持ちを胸に抱いて、再び歩き出した。
再び歩き出したところ、誰かが駆けて来て、の肩をポンと叩いた。
「ちゃん！」
「えっ!?」
驚いて振り向くと、ニコニコしながら、Ｍｉｎｋがそこに立っていた。
「Ｍｉｎｋちゃん？ みんなと牛タンを食べに行ったんじゃないの？」
「うん。皆には先に行ってもらっちゃった。この近くに美味しいお菓子屋さんがあるって、Ｍａｃｏちゃんが教えてくれたから、後で先輩やスタッフさんに差し入れを持って行こうって思って」
「…あ、そっかぁ」
Ｍｉｎｋの心遣いに、は感心した。Ｂｌｏｓｓｏｍの打ち合わせが終わった後も、マネージャーのモトハルやコンサートスタッフは、コンサート準備のため、まだ会場に残っているのだ。
「ちゃんも一緒にお菓子屋さんに来ない？ すぐ近くみたいだよ」
誘いの言葉をむげにもできず、は「いいよ」とうなずいた。
Ｍｉｎｋの言ったお菓子屋さんは歩いてすぐのところにあった。江戸時代のお屋敷のような店舗はもともと、お茶屋さんで、店内でお菓子も販売しているようだった。
適当なお菓子を詰めてもらいながら、Ｍｉｎｋは店内にあるクーラーボックスを覗きこんだ。
「これ、美味しそう」
Ｍｉｎｋが指差したのは、抹茶と生クリームと餡子を饅頭の皮で包んだ、アイスの大福だった。
寒いのに･･･と思いつつも、「ちゃんも食べない？」というＭｉｎｋの誘いに、ついうなずく。店内では座って食べられるように椅子が用意されていて、２人が大福をひとつずつ買うと、店員さんが熱いお茶を淹れてくれた。
一口食べると、抹茶のほろ苦さと生クリームと餡子の甘さが口の中でふんわりと溶け合う。
「…うわぁ、これ、美味しいね！ …ほっぺが落ちそう･･･！」
が思わず頬をゆるめて、Ｍｉｎｋに言うと、傍らのＭｉｎｋはほぅっと息をついた。
「良かった。ちゃんがやっと笑ってくれた」
しみじみと呟いて、心底嬉しそうにの顔を見つめる。
「ちゃん、ガイア･プロダクションの人が事務所に来てから、ずっと元気がなかったから」
「…ごめん」
はＢ・Ｍ事務所のメンバーにまだ、愛純の事務所への移籍を告げていない。だが、無意識に落ちこんでいたの行動が、Ｍｉｎｋ達を心配させていたことに気づき、は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だが、Ｍｉｎｋは暖かく微笑んで、ふるふると頭を振った。
「ううん。今、ちゃんがとても大変だってこと、あたしも分かるから…」
かつてＭｉｎｋもガイア・プロにまつわるスキャンダルに巻きこまれたことを思い起こし、は言葉に詰まった。マスコミに袋叩きに合っていたにも関わらず、拍手ひとつないプラチナディスク大賞のステージで、微笑んで歌い始めたＭｉｎｋの姿は、自宅のテレビで見たの脳裏にも強く焼きついている。
はＭｉｎｋに尋ねた。
「…どんなに辛い時でも、Ｍｉｎｋちゃんは笑顔でいたよね。…どうして、Ｍｉｎｋちゃんはあんなに強くなれたの？ モトハルくんのため？」
お茶の最後の一口をすすり、Ｍｉｎｋは曖昧に首を振った。
「強くなろうとか考えたことはなかったよ。…でも、シングルデビューした時、先輩に言われたの。『どんな時でも、笑ってること』それがあたしの仕事だって。…だから、あたしも何があっても、笑顔は絶対に忘れちゃいけないって思えたのかもしれないね」
真剣な口調でそう言うＭｉｎｋに、かつてを叱りつけた愛純の言葉が重なった。
『しゃんとしなさい！ あなた、アイドルでしょう？ アイドルはファンに夢や希望を与えるのが仕事なのよ。下を向いている暇があるなら、今、自分にできることを探しなさい！』
ライバル同士のＭｉｎｋと愛純の言葉が一致したことが、にはおかしかったが、それがプロのアイドルとしての心意気なのだろうと、素直に納得できた。
微笑んで、はＭｉｎｋに告げた。
「ありがとう、Ｍｉｎｋちゃん。…私、いろいろあって、一番大切な事を忘れかけてたみたい。私も…プロのアイドルだって事を」
愛純の事務所に移籍する事を決めたのは自身だ。しかも今は半年間続けてきたアイドルグループ“Ｂｌｏｓｓｏｍ”の解散コンサートツアーなのだ。が笑顔を忘れていては、さっきサインを求めて来た少女のように、を応援してくれるファンにも申し訳ないと強く思う。
―Ｍｉｎｋちゃんと愛純さんの言う通りだ。下を向いてる暇なんてない。私は私にできること…笑顔でいることを頑張らなくちゃ―
「ねえ、Ｍｉｎｋちゃん、私もやっぱりお腹がすいて来ちゃった。牛タンを食べに一緒にお店に行ってもいい？」
の言葉に、Ｍｉｎｋは弾んだ声音でうなずいた。
「もちろん！ 皆、喜ぶよ！」
とＭｉｎｋは差し入れのお菓子を持って、明るく笑いながら、仲良くお菓子屋さんを出た。
※※※※※
仙台でのコンサートは大成功を収め、Ｂｌｏｓｓｏｍは名古屋へと移動した。
だが、名古屋にいる間に、とんでもないニュースがのところに飛びこんで来た。
イリヤのマネージャーの宮田さんから、に『イリヤの居所を知らないか？』という問い合わせの電話がかかって来たのだった。
「えっ!? いいえ、知りませんけど。ツアーに出てからは連絡も取っていません」
ビックリして受話器を取り落としそうになるに、宮田さんは固い声音で『…そうですか』と呟いた。
『仕事も全部キャンセルして、“しばらく出かけて来る”と書き置きを残したきり、行方不明なんですよ。心当たりは全部尋ねて、さんが最後の頼みの綱だったんですが、さんのところにもいないとなると、もうこちらとしてもお手上げですよ』
『携帯は電源を切られているし、マンションもライブハウスも撮影所も全てダメだった』と言われ、さすがのも「私にもイリヤくんの居場所の見当がつきません」と答えるしかなかった。
『もしイリヤから連絡があったら、至急、ガイア・プロダクションと連絡を取るように伝えてください』
あわただしく言うと、宮田さんは電話を切った。
試しにからもイリヤの携帯電話に電話してみたが、やはりつながらなかった。
Ｍｉｎｋｌｅにこっそりと事情を話し、「ＷＡＮＮＡ−ＢＥの検索機能で見つけることはできない？」と頼んでみたが、少女達は「無理だよ」と頭を振った。
『ＷＡＮＮＡ−ＢＥの検索機能は、そんなに広い範囲は探せないんだ』
しょんぼりとオムが説明し、はガックリと肩を落とした。考えてみれば、そんな便利な機能があるなら、Ｍａｃｏがとうの昔に、放浪中の父親を探し出して連れ戻しているだろう。
「イリヤくん、どこへ行っちゃったんだろう…」
不安な気持ちでは呟いた。最後に別れた時の、イリヤの様子が嫌でも浮かんでしまう。
―に背中を向け、両拳を固く握り締めて震えていた、イリヤ…。―
イリヤの失踪に、の態度が関わっていることは間違いない。ガイア・プロダクションを辞めることまで覚悟していたイリヤが、の態度に傷つき、自暴自棄な行動に出てもおかしくない。イリヤは一体、何の目的で姿を消したのか…。不吉な予感がの胸を締めつけた。
イリヤを見つける手がかりを思い出せないか、せめて自分にできることはないかと、は一生懸命に考えた。だが、何も思い出せないし、助けになるようなことも思いつけなかった。
しばらく悩んだ後、はひとつの決断をした。とある出版社の番号を電話帳で調べ、電話する。
「もしもし。文文社の『Ｓｃｏｏｐ』編集部さんですか？ そちらでお勤めのジョニー・堀田さんとお話したいのですが」
しばらく待たされた後、聞き覚えのある渋い声が電話越しに響いた。
『もしもし』
「堀田さん、お久しぶり。です」
『!?』
電話口の声がギョッとしたように高くなった後、慌てて潜められた。
『……あんたは今、ツアー中だろうが。何でいきなり、オレの職場に電話して来るんだよ？』
呼吸ひとつ分の沈黙の後、は思い切って言った。
「ひとつ、いいネタがあるんですけど、買いません？」
『おいおい、こっちはお嬢ちゃんの与太話に付き合ってられる程、暇じゃねーんだぜ？ そのニュースソースは信用できるのかよ？』
「バッチリ信用できますよ。それに仕入れたてのホヤホヤです」
自信たっぷりに断言するに興味が沸いたのか、『ふうむ』とジョニ田はうなった。だが、素直には内容を尋ねようとしない。
『オレにネタを売る条件は？』
核心を突いた質問に、は無意識に手のひらを握り締めた。
「…いいえ、条件はありません。このネタに堀田さんが食いついてくれること自体が、私にとって大事なんです」
『面白い事を言うじゃねーか。…よし、買った。あんたの仕入れたネタってのを教えてもらおうか』
ゴクリとつばを飲みこみ、は告げた。
「イリヤくんが失踪しました。事務所が必死に行方を探しています。私にもついさっき、居場所を知らないかって、イリヤくんのマネージャーさんから電話がありました」
ジョニ田はヒュウッと口笛を吹いた。
『イリヤは年内にはＬ．Ａ．に戻る予定だ。あちらでは新プロジェクト宣伝のために、音楽業界の大物さんがスタンバイしてるはずだ。その出発直前に、イリヤが日本国内で行方を晦ましたとなると、ガイア・プロダクションが慌てるのも無理はねーな』
悦に入ったジョニ田の言葉に、は必死で割りこんだ。
「お願いです。イリヤくんの行方を追ってください」
一瞬の間の後、ジョニ田は『はぁっ!?』とすっとんきょうな声を上げた。
『勘違いしてんじゃねーよ。オレは警察でも探偵でもねーんだぜ!?』
「だって、イリヤくんがどこへ行ったか、何をするつもりなのか、それを掴まないと完全な記事とは言えないでしょう？ 堀田さんなら、きっと他の人の知らない情報網をたくさん持っているから、イリヤくんの行方もすぐに見つかりますよね？」
さっきより更に長い間があき、てっきり電話を切られたかとが思った時、低い笑い声が受話器に響いた。
『負けたよ。お嬢ちゃん。あんたはツアー中で動けないから、オレに代わりに探させようってハラか』
「…だって、イリヤくんがどこにいるか、興味はありませんか？」
言い募るに、意地悪く声を潜めて、ジョニ田は告げた。
『別にイリヤが今どこにいるかなんて知らなくたって、このネタだけで記事は書けるんだ。なんでオレがわざわざ駆けずり回って、イリヤを探す必要がある？』
思わず、返答に詰まるに、だが、ジョニ田は意外なほど優しい口調で告げた。
『…いいよ。オレに任せな。イリヤの行方を探してやる。…ただし、せっかく仕入れたネタだ。イリヤの居所が見つからなくても、次の雑誌締め切りに間に合わせて、記事は書くぜ。…むしろ、雑誌が出た後のほうが早く見つかるかもしれねーぞ』
電話する前に覚悟していたセリフだったが、はこれで自分はイリヤを売ったことになるのだと、罪悪感で胸が痛んだ。
「はい、お願いします」
沈んだ声でうなずき、電話を切ろうとする。だが、ジョニ田の言葉はそこで終わらなかった。
『…おい、今から言う番号をメモしろよ。０９０−××××−××××』
携帯番号らしい数字を告げられ、慌てては手近なメモ用紙に書きこんだ。間違っていないかどうかを、に復唱させると、ジョニ田は苦虫を噛み潰したような口調で告げた。
『そいつはオレの携帯の番号だ。頼むから、今度から用事がある時はそっちにかけてくれ。若い女の子から半泣きで電話がかかって来てるって、デスクから呼ばれた時は、何事かと思っちまったぞ。…言っておくが、オレは女子供を慰めるのは得意じゃねーんだ。あんたの大事なイリヤはすぐに見つけてやるから、もうメソメソしてんじゃねーぞ』
電話が切れた後も、はどんな表情をしていいのか、判断に困ってしまった。あのジョニ田がどうやら、を元気づけようとしてくれたらしいと言うのが、やっと分かる。
―…ジョニ田さんって…意外と可愛いところもある…かも？―
最後にの唇から漏れて来たのは、明るいクスクス笑いだった。
だが、海千山千のジョニ田の純な部分を引き出してしまうのは、実は自身の力だと言うことには、は気づいていなかった。
※※※※※
イリヤが見つからないまま、ジョニ田からも何の音沙汰もなく、コンサートはとうとう終盤を迎えた。
Ｂｌｏｓｓｏｍのラストコンサートはクリスマスイブの東京ドームだった。単発とは言え、人気アイドルユニットの最後の晴れ舞台を見ようと、大勢のファンや報道陣がつめかけ、コンサートの様子は全国ネットの生中継で流されることになった。
コンサートの開始前、の携帯電話に愛純からの１本の留守電が入っていた。
『あたしよ。パパに頼んで、コンサートのチケットを取ってもらったの。Ｓ席の最前列で観ているわ。…ＭＣの時に言うべき事は、ちゃんと覚えていてくれてるわよね？ 楽しみに待ってるから。…それじゃ』
携帯の電源を切りながら、は胸の中で『とうとう…』と呟いた。
は今日、大勢のファンと仲間達の前で、愛純の事務所に移籍する事を宣言しなければいけない。コンサート会場には愛純が来ているのだ。もう後戻りはできない。
の言葉を聞いて、Ｍｉｎｋｌｅやオム、モトハル、有香が、どんなに怒り悲しむかを思うと、の胸は苦しくなる。だが、大切なＢ・Ｍ事務所を失うくらいならば、どんなことにもきっと耐えてみせると、は心に決めていた。
控え室にいるＢｌｏｓｓｏｍをモトハルが呼びに訪れた。
「そろそろスタンバイしてくれ」
部屋を出て行く少女達の背中を１人１人、モトハルは優しく叩いた。
ステージ裏で、５人の少女達はごく自然に輪になって肩を寄せ合った。
Ｍｉｎｋが瞳を輝かせて告げる。
「あたし達がこんなふうに一緒に歌ったりダンスできるのも、これで最後だね。…でも、ファンの皆のためにも、寂しい気持ちに負けないで、がんばって今までで最高のステージにしよう！」
その言葉に、少女達も笑顔で「うんっ！」とうなずきあう。
そして、達は眩しいライトと大観衆の歓声の中、最後のステージへと飛び出していった。
続く
＜あとがき＞
またもや中途半端なところで切れました。ごめんなさい（平身低頭）クリスマスにアップする予定だったんですが、１月も半ば過ぎちゃいました。連載も１年突入…（爆）本当にごめんなさい（しょぼ〜ん）あと、神無月はアイドルのコンサートって行った事がないので、雰囲気がよく分からなかったり…（汗）ちなみに、なぜ仙台という地名が出て来るかというと、単に身近な場所が書きやすかっただけです。すみません〜（滝汗）それと、今回出てくるお菓子屋さんとお菓子にはモデルがあります。「お茶の井ヶ田」さんの「喜久福」というお菓子です。まぢ美味しくて、絶品です♪
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