【１０・三つの選択肢】
水原愛純の「１週間以内に事務所を移籍せよ」という無茶な命令から、数日が過ぎた。
その日、は１人でバードミュージック事務所に来ていた。アイドルとしての仕事はオフだったのだが、事務仕事を片付ける必要があった。モトハルは学校へ補習を受けに行っており、Ｍｉｎｋｌｅも有香も出払っている。誰もいないと、静けさを余計に感じてしまい、はラジオのボリュームを上げて、掃除をしていた。
ドラマの撮影終了日、いろんな事が起こった。以来、はまだ気持ちの整理がつかず、ずっと悩んでいた。
本当は誰かに相談したかったのだが、あれこれ微妙な問題でもあり、事務所のメンバーには下手に心配をかけたくないという思いがあって、話し辛かった。
こうして事務仕事を片付けていても、出るのはため息ばかりである。
仕事がひと段落し、お茶を淹れてソファに座りこんだ時、１人の人物の顔が思い浮かんだ。時たま、携帯メールのやり取りをしていて、いわゆるメル友と言える存在だった。
早速、相談があるのだが、聞いてもらえないか云々のメールを送る。そのまま紅茶を味わっていると、目の前の空気が揺れた。カップから顔を上げると、向かい側のソファに眼鏡をかけた少年が座っていた。
「鏡!? 早いんだね。もうメールを読んだの？」
少し驚いて尋ねると、鏡は「メールはリアルタイムで受け取っている」と答えた。
が「お茶でもどう？」とティーポットを手に取ると、鏡は「持参してきた」と銀色の袋を見せた。２人は向かい合ったまま、は紅茶をすすり、鏡はストローで未来の飲み物を飲んだ。
「時空管理局のお仕事は進んでるの？」
の問いかけに、鏡は鼻の頭にしわを寄せ、不愉快そうにうなった。
「超時空ネットワークの補修とＷＡＮＮＡ−ＢＥの改良はもう終わった。残っている仕事はキミの監視だ」
眼鏡の奥の色素の薄い瞳をひたっと向けられ、は居心地悪くもじもじした。あまりにもバツが悪そうに見えたのか、鏡はくすっと笑い、言葉を続けた。
「もっとも、キミのためだけに、この時代に残っているわけじゃない。３月９日の時空嵐の原因が、２０９９年の科学力をもってしても、いまだに解明しきれていない。Ｍｉｎｋｌｅが今後、同じ状態に陥らないためにも原因究明は重要だからな」
「仕事が全部終わったら、未来へ帰っちゃうの？」
「もちろん。新しい任務に就くことになる」と、鏡はうなずいた。
「こんなふうに会ったり、おしゃべりできなくなっちゃうんだ。せっかく友達になれたのに、鏡が未来へ帰っちゃったら寂しいな」
何気なく呟いて、はぎょっとなった。鏡の顔が真っ赤になり、飲み物を吹き出したからだった。
「ごめん！ 私のせいで仕事が長引いてるのに、こんなことを言われたら、腹立つよねっ！ 考えなしでごめんなさい…」
ハンカチを差し出して謝るに、ごほごほと咳きこみながら、鏡は「怒ってるわけじゃない」と首を横に振った。ハンカチも断り、ポケットから奇妙な光沢のある布を出して、口元を拭う。
「ボクを“友達”と呼んだのは、キミで２人目だ。２０世紀人は“友達”の概念がボクの時代とは違うらしいな」
ぶっきらぼうな早口で言われ、は鏡が照れているのだと思い当たった。そして、もう１人の鏡の“友達”が誰かも、見当をつける。微笑んで、は告げた。
「そんなことないよ。いつの時代だって、“友達”が“大切な人”だってことは変わらないよ。みんくちゃんだって、きっとそう思ってる。…鏡が未来に帰っても、私とのメールのやり取りも続けてくれると嬉しいな」
「気が向いたらな」
そっけない答えだったが、赤いままの頬が、の申し出を嬉しく感じていることを告げていた。
「…それより、わざわざ呼び出すなんて、何か困ったことでも起きたのか？」
話題を変えようと、鏡はぎこちなく切り出した。
「…うん。ちょっとね、中立の立場から、冷静な判断をしてくれる人に、相談に乗って欲しくて…」
言いよどむに、続きをうながすように鏡が小首をかしげた。は思い切って、悩みを打ち明けた。
全て聞き終わった鏡は「それで？」と尋ねた。
「要するに、、キミには今、三つの選択肢がある。ひとつ、Ｂｌｏｓｓｏｍ解散後もバードミュージックに残る。ふたつ、イリヤと共にＬ．Ａ．へ行く。みっつ、水原愛純の事務所へ移籍する。…別に悩むことじゃない。どれでも好きな道を選べばいい」
「好きな道って簡単に言うけど…」
唇を尖らせるに、鏡は軽く両手を上げてみせた。
「周りの思惑に流されて、本当の望みが見えなくなっているだけだ。答えはもう、のなかにあるはずだ」
いろいろな想いがの脳裏を駆け巡った。…やがて、はぽつりと口にした。
「…イリヤくんと一緒にいたい。イリヤくんが好きなの」
一瞬、苦痛にも似た表情が、鏡の顔をよぎったが、すぐに消えた。淡々とした口調で鏡は言った。
「それはボクではなく、イリヤ本人に伝えるべきことだろう？」
「うん。そうだね」
はうなずいたが、すぐにうなだれてしまった。
「…でも、渡米を選んだら、事務所を移籍しないといけなくなっちゃう。大好きなバードミュージックのみんなと別れたくないよ。…それに愛純さんも納得しないだろうし。愛純さんを怒らせて、イリヤくんやバードミュージックのみんなに迷惑がかかったら嫌だし…」
鏡は腕組みをして、大きくため息をついた。
「それこそボクに相談する内容じゃないだろう？ 悩む前にきちんと事務所の仲間に話せばいい。キミの気持ちを知れば、みんな、応援こそすれ、迷惑などは感じないはずだ。…例えば、が逆の立場だったらどうする？ 白石みんくが、キミに迷惑をかけたくないばかりに、夢を諦めようとしていたら、どう思う？」
「そんなのダメだよ！ みんくちゃんが幸せになれるんだったら、迷惑なんて全然、感じないもん！」
「だろう？ キミの友達も同じ気持ちのはずだ」
思わず握りこぶしで力説してしまったは、鏡の答えにハッとなった。
「私、みんなにきちんと話してみる！ イリヤくんにも。…それと、やっぱり愛純さんにも！」
ソファから急に立ち上がると、は清々した表情で笑った。
「ありがとう、鏡！ 早速行ってくるね！」
ドアへ向かって駆けて行くを、鏡は憂いを秘めた瞳で見送った。
※※※※※
が行ったのは、イリヤのマンションだった。地階のインタフォンを押すと、チャイム音が鳴り響き、イリヤの声が答えた。
『はい。…あれっ！？ ちゃん？』
カメラに向かって、は話しかけた。
「突然、伺ってすみません。ちょっとお話があるんですけど、お時間はありますか？」
わずかな沈黙の後、イリヤは穏やかに答えた。
『…そうだな。ちょうど今から、ある場所に荷物を置きに行くんだ。良かったら、付き合ってくれるかな？』
が「はい」と答えると、イリヤは『すぐに降りていくから、そこで待ってて』と言い、インタフォンを切った。
数分もすると、エレベーターが下りてきて、イリヤが現れた。ジーンズにジャケットをひっかけたラフな姿で、ふちなし眼鏡をかけている。肩にはギターケースをかついでいて、いかにも「ちょっとその辺まで」と言った風情である。
２人でイリヤの愛車に乗りこむと、イリヤはを見覚えのある場所へ連れて行った。
そこは初めて会った時、イリヤに連れて来てもらったライブハウス『ＭＵＳＩＣ ＢＯＸ』だった。今日はライブの予定はないらしく、辺りに人影はなかった。
「明日、ここでまた飛び入りライブの予定があって、荷物を運びこめるように鍵を借りてあったんだ」
そう言って、イリヤは通用口を開け、室内の明かりを点した。
誰もいないライブハウスはがらんとして、置きっぱなしの機材も隅にあるバーカウンターも、全て深い眠りに落ちているようだった。
ギターケースを脇に置き、ステージの上にパイプ椅子を２つ、少し離して並べると、イリヤは片方を「どうぞ」とに勧めた。
いよいよイリヤに話す段になって、の心臓は破裂しそうなほど、ドキドキし始めた。一方、イリヤはと向かい合わせに座り、穏やかな表情のまま黙っている。
「…え〜と、あのっ！」
思い切って話し出した声が壁に反響して、大きく響き、はギョッとなった。少しトーンを落として、続ける。
「あの…この前の返事なんですけど…」
恥ずかしさにうつむいてしまいたい衝動をこらえ、懸命に顔を上げて、イリヤを見つめる。イリヤのブルーグレイの瞳には、どんな結果でも受け入れようというような、諦めにも似た色が浮かんでいた。
―２年前、本気で恋したＭｉｎｋちゃんの心を、手に入れられなかったその時から、イリヤくんは、こんなに寂しい瞳をするようになってしまったの…？―
そう思った途端、は自然に両手をイリヤに差し出していた。精一杯の想いをこめて告げる。
「私もイリヤくんが好きです。連れて行ってください。Ｌ．Ａ．へ」
一瞬、信じられないというような表情がイリヤの顔に浮かび、それはみるみるうちに満面の笑みに変わった。
「…やった！」
急に立ち上がると、イリヤはを椅子ごと、ぎゅっと抱きしめた。万感の想いがこもった言葉が告げられる。
「…ありがとう…！ 嬉しいよ！」
はドキドキしながらも、ぎこちなく体を離して、イリヤの顔を見上げた。まだ話すべきことがあった。
「…でも、あの、ソロデビューに関しては、条件と言うか、お願いがあるんです」
「条件？」
目顔で「言ってごらん」と促され、は思い切って頼んだ。
「渡米したら、すぐにソロデビュー準備に入るんじゃなくて、まず歌や演技の勉強をさせてください。Ｂｌｏｓｓｏｍの活動を通して感じたのは、歌ったり演じたりするってとても楽しいけれど、難しいってことです。実践で学ぶことも多いけれど、デビューする前に体系立てて、本格的に学んでみたいんです。…それと、できれば英語も勉強したいんですけど…」
の言葉に、イリヤは満足そうに微笑んだ。
「もちろん、オレもそのつもりだった。向こうのアクターズスクールとイングリッシュスクールの資料は取り寄せてある。いつでも編入手続きができるよ」
今度はが「ありがとう…！ 嬉しいです！」と叫ぶ番だった。
とイリヤは見つめあい、照れたように微笑みあった。
イリヤがすっとから離れ、ギターケースからギターを取り出した。
「実はちゃんに聴いて欲しい曲があるんだ。まだ歌詞はできていないけれど、ソロデビューにはこの曲を歌って欲しい。…キミをイメージして作った曲だ」
は赤くなり、以前にイリヤのマンションに行った時、ベッドサイドで楽譜を見つけたことを白状した。イリヤは「そう、その曲だよ」とうなずいて、ギターを爪弾き始めた。
歌詞は出来ていないので、意味のある単語の代わりに「ＬａＬａＬａ〜♪」というフレーズをイリヤは口ずさんだ。
ギターが奏でたのは、とても優しくて明るく澄んだメロディーだった。
「素敵な曲ですね」
うっとりとが呟くと、イリヤは嬉しそうに「ありがとう」と微笑んだ。それから思いついたように言い出す。
「…そうだ。せっかくだし、ちゃんが詞をつけてくれないか？」
思わずは固まった。
「えっ!? 私がですかっ!? 私、作詞なんてしたことないですよっ!?」
「大丈夫。気長に待つから。キミの書く詞が読んでみたいんだ」
大好きなイリヤにそこまで言われて、否やのあるはずもない。は「分かりました。頑張ります」と決意の表情でうなずいた。
イリヤは再び曲の最初からギターを奏で始め、は瞳を閉じて、うっとりと聴き惚れた。
優しいメロディは絶えることなく小さなステージから流れ続け、はこの時がいつまでも続いて欲しいと、そう心から願った。
※※※※※
小１時間後、２人がライブハウスを出た瞬間、夜闇を切り裂いて、眩しいフラッシュが焚かれた。
ドキッとして立ち止まると、近くの物陰からカメラを手にしたジョニ田が立ち上がった。唇の端を皮肉っぽく上げて、ジョニ田は告げた。
「イリヤのマンションからずっと尾けてたんだが、気づかなかったらしいな」
顔色を変えて身構える２人に、ジョニ田は薄く笑って、両手を挙げた。
「心配しなさんな。『イリヤと、無人のライブハウスで深夜の密会!?』なんて記事にはしねーよ。今、撮ったのは念のための証拠ってヤツだ」
「どういうことだ!?」
厳しい口調で問いかけるイリヤに、ジョニ田はあっさり言ってのけた。
「水原愛純の指示でね。は水原愛純の事務所に移籍してもらう手はずになってる。水原愛純の後輩になるヤツの、スキャンダル記事を書くわけにはいかねーからな」
「勝手に決めないでください！ 移籍の件は、愛純さんにきちんとお話して、お断りするつもりです！」
ムカッとしてが言い返すが、ジョニ田は歯牙にもかけなかった。
「警告したはずだ、。『選択権はない』と。あんたは絶対に水原愛純の事務所へ移籍させる。あんたにその気がないなら、こっちの手段が変わるだけだ。それを伝えるために、オレは姿を見せた」
言いたいだけ言うと、ジョニ田はくるりと２人に背を向けた。
「忘れるなよ、。あんたは渡米できないし、今の事務所にもいられない。あんたの取るべき道は水原愛純に従うこと、ただひとつだけだ」
予言めいた不吉な言葉を残し、ジョニ田は暗闇に姿をくらませた。
「イリヤくん…」
不安な気持ちで隣のイリヤを見上げると、力づけるような笑みが返って来た。イリヤはの手をそっと握り、宣言した。
「やっと両想いになれたんだ。心配するな。キミは誰にも渡さない」
「…はい」
頬を染めて微笑み返しながらも、異様なほど自信たっぷりだったジョニ田の様子に、胸のうちにふくらんでくる不安を、は抑えることができなかった。
※※※※※
翌日、はモトハルに頼み、バードミュージック事務所にみんなを集めてもらった。みんなとはすなわち、モトハル、Ｍｉｎｋｌｅの３人、オム、そして有香である。
イリヤは自分も話し合いに加わりたいと言ったのだが、はあえて断った。事務所のメンバーだけで話し合いたいと考えたからだった。
ずらりと集まったメンバーに向かい、は緊張しながら告げた。
「…私、イリヤくんとＬ．Ａ．に行きたいんです。お願い。渡米を許してください！」
深く頭を下げると、集まった仲間達は不思議なことに、微笑んだ。
「そう言うんじゃないかって思ってたよ」
優しい声音でモトハルが言った。他の５人もうんうんとうなずいている。はおずおずと聞き返した。
「…みんな、怒らないの？」
「なんでよ？ ちゃんがせっかくイリヤくんと両想いになれたのに、あたし達が怒るわけないじゃん」
あっさりＭａｃｏが言って、はそこまで見抜かれていたかと、真っ赤になった。
「ちゃんいいな〜♪ 有香、ゼッタイに遊びに行くから、ヨロシクね〜♪」
はしゃいだ口調で有香が言い、オムが丸い瞳をうるうるさせながらも、にこっと健気に笑った。
『ボク、ちゃんがいなくなっちゃうのは嫌だけど、ちゃんがボクのワガママで、悲しい想いをするのはもっと嫌なんだ。…どうか、離れても、ボク達のこと、忘れないでね』
「何言ってんの、オムスビ」と威張った口調でＣａｎｏｎが言う。
「今は日帰りで海外出張する時代だもん。Ｌ．Ａ．だってそんなに遠くないわよ。メールも電話もできるんだから」
オムの頭を優しく撫でながら、Ｍｉｎｋが微笑んだ。
「ちゃんの幸せが、あたし達の幸せだよ。あたし達の事は気にせずに、行って来て。離れても、あたし達はいつだってちゃんのことを応援してるから」
「みんな…ありがとう…」
暖かい思いやりのこもった言葉の数々に、は胸がつまり、やっとそれだけを口にした。だが、問題はそれだけではなかったことをハッと思い出す。
「…でも、あの…愛純さんが…」
一連の出来事をおずおずと説明し、愛純の事務所に移籍するよう求められて困っていることまで話す。
「や〜ん♪ イリヤくんだけじゃなくて、愛純さんから告白されるなんて、ちゃん、すご〜い♪」
事務所で唯一、愛純びいきの有香は笑顔で歓声を上げたが、他のメンバーからはさくっと無視された。はあっとＭａｃｏがため息をつく。
「愛純さんのうちの事務所に対する嫌がらせは、今に始まったことじゃないからね」
「Ｍｉｎｋとイリヤくんの一連のスキャンダルだって、後ろで糸を引いてたんだから、ちゃんに無茶を言うくらい朝飯前だよ、彼女」
「やれやれ」と肩をすくめながら、Ｃａｎｏｎもうなずく。
事務所のみんなの反応が、“怒り”よりも「またか…」というような“呆れ”であることに気づき、は苦笑いをした。
「気にすることないよ。ちゃん。ちゃんが望んでいないことを強制する権利は誰にもないんだもん」
Ｍｉｎｋが笑顔で、の肩にそっと触れた。モトハルまでも、あっさりと言ってのける。
「Ｍｉｎｋのデビューから、水原愛純とはいろいろあったけど、オレ達はなんとかここまでやってこれてる。こっちに後ろ暗い事がない以上、どんな嫌がらせをされたって、今更、Ｍｉｎｋｌｅの人気は揺るぎはしないよ。にそのつもりがないなら、帝国テレビの圧力なんか気にせずに、ハッキリ断ればいい。断らせてくれないのなら、文書で伝えればいいんだ」
モトハルの指示で、Ｃａｎｏｎがすかさずパソコンを起動させた。モトハルが言うとおりの文面をＣａｎｏｎが打ち、プリントアウトする。
印刷された用紙を、モトハルがＦａｘで水原愛純の事務所へ送ると、とりあえず愛純の１件は、そこで沙汰止みになった。
「それより、が渡米を選んだってことは、イリヤが所属するガイアプロに移籍することになるけど…」
モトハルが言い出し、は生唾を飲みこんだ。大好きなバード・ミュージック事務所からの移籍は、にとって一番選びたくない選択肢だった。だが、続いてのモトハルの言葉は意外なものだった。
「やっぱりは移籍したほうがいい。いや、するべきだと思う」
Ｍｉｎｋｌｅの３人とオムが辛そうに表情を歪め、有香が物言いたげに唇を動かしたが、モトハルの言い方はきっぱりしていた。
「オレもこの業界は長いんだ。所属事務所の力関係がタレントの芸能活動を大きく左右することも良く分かってる。がイリヤの下で充分に実力を発揮したければ、イリヤが所属する事務所に当然、入ったほうがいい」
モトハルの言うことが正しい。そう分かっていても、は見捨てられたような気持ちを抱いた。泣き出したいのをこらえて黙っていると、モトハルは「そんな顔するな」と、の背中をぽんぽんと優しく叩いた。
「本当はオレはに謝らなきゃいけないんだ。…うちのおやじは、あんなだけど、ダイヤの原石を見抜く目は確かなんだ。そのおやじの紹介なんだから、デビューさせたらゼッタイにイケるって分かってたのに、オレは人手が足らないのをいいことに、に都合のいい事務仕事だけを押しつけちまった。…イリヤが移籍を申し出て来た時、正直、やられたって思ったよ。見るヤツが見れば、のなかに眠ってる可能性がちゃんと分かるんだなって」
「モトハルくん…」
は見捨てられたと思ったことを恥じた。モトハルはもっと大きな目でを見つめてくれていたのだと悟る。
「うちでは、Ｂｌｏｓｓｏｍみたいな単発物でしか、の芸能活動を支援できないけど、ガイアプロでなら長い目で育て上げることができる。移籍したほうがのためだし、がそれで大きく羽ばたけるのなら、オレも嬉しい。うちはＭｉｎｋｌｅがいれば何とかなるしな」
モトハルが有香の名前を言わなかったことに、は疑問を感じた。の不審な表情に気づいて、モトハルは軽く笑った。
「ああ、にはまだ言ってなかったな。実は有香もＢｌｏｓｓｏｍ解散後、事務所を移籍することになったんだ」
有香本人とＭａｃｏ以外の者が「ええっ!?」とすっとんきょうな声を上げた。Ｍａｃｏが「そんな驚くことじゃないって」と言って、事情を説明した。
「ママ…じゃなくて、鳥海社長の奥さんが経営するモデル会社から、有香を専属モデルとして使いたいってオファーがあったの。それで、有香がオファーを受けるって言ったのよ。移籍って言っても、同列会社に出向するようなものだよ」
有香ははしゃいだ口調で言った。
「有香、歌ったり演技するのも好きだけど、やっぱり１番好きなのは、モデルのお仕事だって気づいたの〜♪ 鳥海さんのお母さんの会社なら、鳥海さんやみんなとお別れすることにはならないし〜♪ 移籍しようかなって〜♪」
「でも、今だってモデル系のお仕事が多かったのに、どうしてわざわざ移籍なんて…」
おずおずとが言いかけると、有香はいたずらっぽくウィンクした。
「有香ね、夢があるの〜♪ いつかパリ・コレに出て〜♪ そして、有香が最高にステキに見える、有香のためのブランドを見つけるの〜♪ そのためには、やっぱりお仕事はモデルだけに絞って〜、世界中を飛び回るトップモデルになろうって思うの〜♪」
普段どおりのおっとりした口ぶりだったが、その表情は生き生きとして、自信と希望に満ち溢れていた。
そして、やや恥ずかしそうに、有香は告白した。イリヤがのソロデビューを申し出た時、“普通の女の子をシンデレラにするプロジェクト”なら誰でもいいはずなのに、だけが選ばれたことが、ちょっぴり悔しかったのだと。そして、“なぜ、なのか”“なぜ自分ではないのか”という疑問がきっかけで、有香は自分自身について考えるようになったらしい。
「ちゃんがずっと“自分の夢”について考えてたから、有香も自分の夢ってなにかな〜って、考えたの〜♪ それで、モデルになりたいな〜って思ったの〜♪ 全部、ちゃんのおかげなの〜♪」
モデルになれば、海外に出かける機会も増えるから、Ｌ．Ａ．にも遊びに行けると嬉しそうに言って、有香は無邪気にの手を握った。有香なりにいろいろ考えた末での結論だろうと予想がつき、自然に他人を惹きつける魅力を持つ有香ならば、モデルとしても成功するだろうと思うと、とＭｉｎｋｌｅはそれ以上何も言えなかった。モトハルは母親の仕事には全幅の信頼を置いているらしく、特に不満もないようだった。
「Ｂｌｏｓｓｏｍが解散したら、あたし達、バラバラになっちゃうんだね」
Ｃａｎｏｎが寂しげに呟く。
「なに言ってんのよ。Ｍｉｎｋとあたしはまだいるわよ」
おどけた口調でＭａｃｏがＣａｎｏｎの肩をぽんぽんと叩くが、口調の割にその言葉には力がなかった。
「Ｃａｎｏｎちゃん」
いつか、たった１人きりのステージで見せたのと同じ、暖かく力強い笑みを浮かべて、ＭｉｎｋがＣａｎｏｎの手を取った。
「あたし達はどんなに離れても、心でつながっているんだもん。バラバラなんかじゃないよ。ねっ、そうでしょう？」
その言葉に惹かれるように、Ｂｌｏｓｓｏｍのメンバー達は次々にＭｉｎｋの手の上に自分の手を重ねた。
全員の顔を見渡し、Ｍｉｎｋは明るい声で宣言した。
「Ｂｌｏｓｓｏｍ解散まであとちょっとだけど、みんな、頑張ろうねっ！」
少女達は笑顔で「うんっ！」とうなずきあった。
―大丈夫。鏡の言った通り、外国に行っても、事務所が変わってしまっても、みんなと友達だってことは変わらないんだ。…私は独りぼっちじゃない。だから、きっと、どこへ行っても、私は頑張れる。今、この瞬間の気持ちを、ずっと忘れないでいよう…。―
５人分の手の温もりを感じながら、は新たな決意を抱いて、微笑んだ。
続く
＜あとがき＞
Ｍｉｎｋ原作最終話で、なぜ有香にゃんが姿を現さないのか…という疑問から、有香にゃん移籍説（？）を唱えてみました。
モデルから女優やアイドルになる人はいても、アイドルからモデルになる人って、普通はいないのでしょうか？（汗）
でも、有香にゃんなら、密かに鳥海さんのお母様に取り入って、未来の嫁の座を狙ってそう（笑）
今回の話は全体に説明くさい内容になっちゃいましたね。次回、急展開を迎えますのでよろしく♪
余談ですが、作中に登場するライブハウスにはモデルあります。神戸市の三宮にある『ＣＡＳＨ ＢＯＸ』ってライブハウスです。
学生時代、いまやメジャーデビューを果たした某アカペラグループのライブを何度か聴きに行きました。懐かしいなあ…。
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