【９・ＣＹＢＥＲ ＩＤＯＬ】
飛鳥刑事の車は海岸通りのホールに到着すると、そのままホール付属の駐車場に停められた。
コンサートは既に終了したとあって、駐車場はがら空きで、ホール前もひと気がなかった。
「くんを家まで送ってあげたいんだが、近隣のタクシー会社の電話番号が分からないな」
が車を降りるのを待って、車をロックした飛鳥刑事は、そう言って顔をしかめた。
「ホールの関係者に尋ねてみよう。くん、済まないが、一緒に来てくれないか」
「はい。……あの、飛鳥刑事は現場の指揮でお忙しいでしょうから、自分で聞いて、タクシー会社に連絡します。ここまで乗せて来て下さって、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ、送ってやれなかった上に、本当にすまないな」
申し訳なさそうに頭をかく飛鳥刑事に、は笑顔で言った。
「お仕事、頑張って下さい」
が飛鳥刑事と並んで、ホールに向かって早足で歩くうちにも、遠くから、ファンファンとパトカーの鳴る音が徐々に近づいて来ていた。飛鳥刑事のかけた緊急招集が伝わっているのだ。
「オヤジ！」
ホールの入口ではぶんぶんと片手を振っている少年が立っていた。アスカJr.だった。
「おう、息子。ずいぶん早く着いたもんだな」
「最初からここにいたんだ。Ｍｉｎｋのコンサートを聴きに来ていたから。予告状もこの場で受け取った」
そう答えると、アスカJr.は父親と並んで歩くを見比べて、瞳をまん丸にした。
「じゃないか！？ なんで、がオヤジと一緒にいるんだ！？」
「こんばんは、アスカJr.。今日はその……アスカJr.のお父さんと一緒にＭｉｎｋのコンサートに来ていたの」
「とオヤジが一緒にコンサートだぁ！？」
の説明に、アスカJr.は顎が外れるのではないかと思うほど、ぽかーんと口を開けた。そして、ハッと我に返ると、父親の顔をにらみつけた。
「おい、オヤジ！ はオレのクラスメートの女の子だぞ！ コンサートに誘うなんて、ヘンなことするなよな！」
「ヘンなこととは聞き捨てならないな。私が若いお嬢さんとコンサートに行くのが、そんなにおかしなことかね？」
「言い訳するなっつーの！」
「待って！ 違うの、アスカJr.！ あたしがたまたま無料チケットをもらったから、飛鳥刑事に無理にお願いしたの」
は慌てて、親子の間に割って入った。
「えっ！？ そうなのか？」
「心配するな、息子。私も市民の平和と安全を守る警察官だ。相手がいくら魅力的なお嬢さんでも、未成年に手を出すような犯罪は犯さん」
不審げな眼差しのアスカJr.に、飛鳥刑事はのほほんと答えている。はアスカJr.の気をそらしたい気持ちと、好奇心との両方で尋ねた。
「アスカJr.は一人でコンサートに来ていたの？」
途端にアスカJr.の口ぶりがおかしくなった。
「……いや……その……オレは羽丘に誘われて……」
「芽美と来てたの？ それじゃあ、芽美は？」
「羽丘はコンサートが終わったら、すぐに帰ったんだ。オレも帰ろうとした時に、予告状が送りつけられて」
「ほら」と見せる、アスカJr.のコンサートチケットの裏には『今夜 海岸通りのホールに Ｍｉｎｋの携帯電話を いただきにまいります Ｓｔ．Ｔａｉｌ』と書かれていた。
怪盗セイント・テールの予告状が、何故、こんなに素早く届けられたのか、は納得した。芽美もこの会場にいたと言うのならば、Ｍｉｎｋの携帯電話に関する、何らかの情報を得て、即座にアスカJr.宛てに予告状を送りつけたに違いない。だが、その狙う物が携帯電話とは、一体どういうことだろうかと、は首をひねった。
「Ｍｉｎｋの携帯電話？ 確かにアイドルの携帯電話なら、他人には知られたくない個人情報がたくさん入っているだろうけど、どうしてセイント・テールはＭｉｎｋの携帯電話を狙っているのかな？」
の問いにアスカJr.はうなずいた。
「それが、Ｍｉｎｋさん本人が言うには、コンサートの最中、控え室に置いておいた携帯電話を誰かに盗まれたらしいんだ。大事な物なんだって、Ｍｉｎｋさんもひどく困ってる。おそらく、セイント・テールは、その盗んだ相手から、携帯電話を盗み返すつもりなんだと思う」
「予告状がホールを指定しているってことは、盗んだ犯人はまだホール内にいるってわけね」
「そう言うこと。おそらくＭｉｎｋさんの携帯電話を盗んだのは、ホールの関係者だ。コンサートの最中に、誰にも見咎められずに関係者以外は入れないホールの奥に入りこみ、鍵のかかった控え室から携帯電話を盗み取ることは、ホールの関係者以外は不可能だからな。だから、今、ホールからは人の出入りを禁止して、ホールの関係者には一箇所で集まって、待ってもらってる」
「そうか。良くやったぞ、息子。後はホールの関係者の事情聴取と手荷物検査を行って、Ｍｉｎｋさんの携帯電話を盗んだ犯人を、セイント・テールより先に割り出す必要があるな」
「ああ、分かってる」
父に褒められても、にこりともせず、きりっとした表情でアスカJr.は言葉を続けた。
「それより、ちょっと困ったことがあって……。Ｍｉｎｋさんにとって、携帯電話はかなり大切な物らしくて、盗まれたことで、ひどいパニックを起こして、控え室に閉じこもってしまったんだ。事情聴取をしようにも、誰とも話をしてくれなくて、弱ってる。オレや男性の警察官じゃ、かえって怖がらせてしまうみたいだし。オヤジ、誰か、Ｍｉｎｋさんを落ち着かせられるように、なだめて、話を聞いてくれる婦警を呼べないか？」
飛鳥刑事が「ううむ。うちの怪盗セイント・テール担当係には婦警がいないから、違う係から配備を頼むことになると、少し時間がかかるな」と困り顔で首をひねる。とっさには口に出していた。
「Ｍｉｎｋさんのお話を聞く役目、あたしに任せてもらえませんか？」
アスカJr.と飛鳥刑事の瞳が同時に丸くなる。
「が！？」
「くんがかね？」
は二人に向かい、自信たっぷりにうなずいてみせた。
「街の人の悩みを聞くのはシスター見習いの役目だもの。聖良ほど上手ではないけれど、あたしも困った人の話を聞いたり、混乱している人をなだめるのは慣れてます。Ｍｉｎｋさんとは年頃も同じだし、きっと親身になって話を聞いてあげられると思うの。お願い、アスカJr.、あたしに任せて」
アスカJr.は、むしろホッとした様子で、の手を握った。
「がそう言ってくれると、助かる。なら口も堅いし、安心して任せられるしな。Ｍｉｎｋさんが落ち着いたら、オレの事情聴取に答えてくれるように、説得してくれないか？」
「分かった。任せて」
「……そうか。くんには帰宅途中に引き返させた上に、仕事を手伝わせることになるとは、申し訳ないな。だが、よろしく頼む」
飛鳥刑事にまで、そう言われて、は「はい」とうなずいた。
「じゃあ、しばらくＭｉｎｋさんと二人だけにしてもらえますか？ 盗まれた物が携帯電話となると、Ｍｉｎｋさんも他の人には聞かせたくない話があるかもしれないし」
「ああ。さっき言った通り、Ｍｉｎｋさんは今、控え室に一人きりなんだ。マネージャーさんが控え室の外の廊下で、誰も近づかせないように見張り番をしている。控え室まで、オレが案内するよ」
「分かったわ」
その頃には、何台ものパトカーがホールの入口をふさぐように到着して、警官達が降りて来ていた。
「アスカJr.！ 飛鳥刑事！」
敬礼をする警官隊に飛鳥刑事が命令を出す。
「大至急、ホールの出入り口を固めろ。誰も出入りさせないように！ 残りの者は、ホール関係者の事情聴取と手荷物検査を始めてくれ」
飛鳥刑事は早速、警官隊の指揮を始めた。はアスカJr.の案内で、ホールの奥の関係者しか入れない場所に入れてもらった。コンサートの会場の舞台裏に当たる場所に、小さな控え室があり、そのドアの前に高校生くらいの少年が、イライラした様子で立っていた。
「アスカJr.さん、捜査の進展はどうなっているんですか？ Ｍｉｎｋの携帯は取り戻せるんですか？」
アスカJr.の顔を見ると、少年は矢継ぎ早に質問した。アスカJr.はに、彼がＭｉｎｋのマネージャーの鳥海モトハルだと説明した。
「ご安心下さい、鳥海さん。今、ホールからは一切、人の出入りができないようにして、ホールの関係者には一箇所で集まって、待つよう指示しています。携帯を盗んだ犯人は必ず、ホールの関係者の中にいます。後はホールの関係者から事情聴取して、Ｍｉｎｋさんの携帯電話を盗んだ真犯人を、セイント・テールより先に割り出すだけです」
アスカJr.の説明にうなずくモトハルに、アスカJr.はの肩を軽く叩いてみせた。
「それより、彼女なんですが、さんと言って、聖ポーリア礼拝堂のシスター見習いなんです。他人の相談を聞いて、悩みを和らげる仕事をしている女の子です。Ｍｉｎｋさんと少し話をしてもらって、Ｍｉｎｋさんに落ち着いてもらえればと思って、連れて来たんですが」
不安と緊張に強張っていたモトハルの表情が少し和らいだ。
「Ｍｉｎｋはかなり落ちこんでいるようで、オレとも会おうとしないんです。そのシスター見習いの方が、Ｍｉｎｋを説得できると言うのなら、ぜひお願いします」
は、モトハルとアスカJr.に向かって、穏やかに言った。
「じゃあ、準備しますので、少し時間を下さい」
は偶然にも荷物に自分のシスター服を持っていたことに感謝した。トイレでシスター服に着替え、胸に十字架を下げると、はモトハルの許可を得て、控え室のドアをノックした。
「こんばんは。聖ポーリア礼拝堂にお仕えする、シスター見習いのと言います」
ドアの向こうから細い声が答えた。
「……来ないで。誰も入って来ないで下さい」
返事が来たことに、は少し安堵した。こちらと会話を交わす気持ちが少しでも相手にあるのならば、まだ説得の余地がある。
「大丈夫。あたしは神様に仕える者です。あなたを脅かしたりはしません。それよりも、あなたを助けたくて、ここへ来ました。……ひどくお困りのようですね。あたしで良ければ、二人だけで話を聞かせてもらえませんか？ こうして一人で閉じこもっておられるよりも、事情を伺えば、何かのお役に立てると思います」
「……ダメ。携帯電話がなければ……あたし……」
嗚咽まじりの泣き声がドアから漏れ出す。か弱いその様子に胸を打たれたは、ドアに手をかけ、力強く言った。
「勇気を出して。希望を失くさないで下さい。神様はあなたを見捨てたりは、決してなさりません。携帯電話は必ず、あなたの手元に戻ります。どうか、あたしにその手助けをさせて下さい」
細くドアが開いた。涙をいっぱい溜めた、スミレ色の瞳がドアの隙間からを見ている。シスター服に目を留めた相手は、少しためらった後、小さく言った。
「……どうぞ、入って下さい」
は「失礼します」と頭を下げると、ドアの内側に滑りこんだ。
控え室のドアの前には、先ほどまで舞台の上で華やかに歌っていたアイドルが肩を落としていた。その頭には、何故かカーテンと思しき布をぐるぐるに巻きつけ、瞳に涙をいっぱい浮かべていた。
布の隙間から覗く髪の色に目を留め、は眉をひそめた。アイドルのＭｉｎｋと言えば、ツーテールのピンク色の髪が定番なのに、見えているのは焦げ茶色の髪なのだ。
「……もしかして、困っていらっしゃるのは、その髪が理由ですか……？」
の問いかけに、びくっと肩を震わせたＭｉｎｋはこくりとうなずいた。
「良ければ、布をほどいていただけませんか？」
がうながすままに、Ｍｉｎｋはおずおずと布をほどいた。そして現れたのは、焦げ茶色の髪を背中まで伸ばし、耳の両脇の髪を三つ編みにした、おとなしげな極普通の少女。とても人気の美少女アイドルとは似つかない姿だった。
「……あたし、本当の名前は白石みんくと言います」
そう名乗って、ぽつりぽつりとみんくが語ったのは、の想像もつかない内容だった。
それは、Ｍｉｎｋの正体は、実は普通の女子中学生の白石みんくで、“なりたい自分になれる”未来のＣＤ−ＲＯＭ『ＷＡＮＮＡ−ＢＥ』によって、アイドルに変身していると言うものだった。アイドルに変身できるのは、３時間だけ。３時間経つと元の白石みんくに戻ってしまう。そして、そのＣＤ−ＲＯＭにアクセスして、アイドルに変身するには、『ＷＡＮＮＡ−ＢＥ』とつながった携帯電話を使うしかないのだと、みんくは語った。
「盗まれたのは、その携帯電話なんですね？」
「そうなんです。控え室に戻ったら、携帯電話がなくて、探しているうちに変身の３時間が過ぎてしまって、元の姿に戻ってしまったんです。……あたし、今のこの姿では、先輩の前にも出られないから、閉じこもるしかなくて……」
みんくはポロポロと涙を零しながら、苦しい胸の内を告げた。にしてみれば、突拍子もない話だったが、みんくの涙が、何よりも彼女が本心から困っていること、彼女の告げているのが、全て真実の物語であることを伝えていた。
みんくを信じようと心に決めたは、まず最初に抱いた疑問を尋ねた。
「先輩ってどなたのことですか？」
「あ、マネージャーの鳥海モトハル先輩です。あたしの正体を知っているのは、友達の真帆子ちゃんと叶花ちゃんだけで、先輩にも秘密なんです……」
『先輩』と何度も呼ぶみんくの口ぶりから、は何となく、みんくのモトハルに向ける感情が、アイドルがマネージャーに向ける以上の、強い想いがあることを感じ取った。
やがて、みんくの話を全て聞き終わったは、ゆっくりとうなずいた。
「お話は分かりました。アイドルのＭｉｎｋさんがいきなり消えて、代わりに白石さんが現れたということになったら、Ｍｉｎｋさんの正体が鳥海さんや他の人に分かってしまうかもしれない。それが怖くて閉じこもっておられたんですね」
こくりとうなずくみんくに、は力強く言った。
「もう大丈夫です。全てあたしに任せて下さい」
「え？」
驚く顔をするみんくに微笑みかける。
「携帯電話は怪盗セイント・テールが必ず取り戻してくれます。彼女は困っている人のために働くドロボウですから。とにかく携帯を取り戻すまで、Ｍｉｎｋさんがいないことがバレないようにすればいいんです。それなら簡単。あたしがあなたの代役を務めます」
の鋭い瞳は、控え室に置かれたメイクセットの中の、ピンク色のヘアピースをしっかり見つけていた。
半時間後、控え室からピンクの髪のＭｉｎｋとシスター服の少女が現れた。少し離れた廊下で、心配そうに事の成り行きを見守っていたモトハルは安堵の表情で、二人に駆け寄った。
「Ｍｉｎｋ、良かった。心配したんだぞ」
「心配をかけてごめんなさい、先輩。あたし、もう大丈夫です」
深々と頭を下げて、Ｍｉｎｋは謝った。
「シスター、Ｍｉｎｋを説得して下さって、ありがとうございます」
モトハルの感謝の言葉にシスター服の少女はこくりとうなずいた。かぶり布を深くかぶっているため、その顔はモトハルには口元がちらりと見える程度である。無言のシスターの代わりにＭｉｎｋが言った。
「シスターは少しお疲れみたいです。お帰りになりたいそうなので、お世話になったお礼とお詫びを兼ねて、タクシーに乗られるまで、お見送りしてもいいですか？ その後で、警察の方の事情聴取を受けます」
「あ、ああ。そうしてくれ」
「すみません、先輩。じゃあ、ちょっと行って来ます」
モトハルに挨拶すると、Ｍｉｎｋはシスター服の少女の手を取るようにして、建物の外に連れ出した。ホールの外では、タイミング良く、の電話によって呼び出されていたタクシーが、ドアを開けて待っていた。
タクシーの後部座席に、シスター服の少女を案内しながら、Ｍｉｎｋはささやいた。
「ホールの近くに小さな公園があります。そこで待っていて下さい。携帯電話を取り戻し次第、あなたのところへ持って行きます」
「分かりました。ありがとう」
かぶり布の陰からスミレ色の瞳を覗かせて、みんくはうなずいた。
タクシーが去ると、Ｍｉｎｋに変装したは息をついた。これからがにとって正念場だった。何の下準備もなく、いきなりアイドルの代役を務めなければならない。だが、みんくのためにも完全に化け通すつもりだった。
まず、はアスカJr.のところへ行った。おずおずと謝る。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。……あたし、混乱してしまって……でも、もう落ち着きましたから」
アスカJr.もまたホッとした表情でうなずいた。
「落ち着いて下さって良かったです。……では、早速ですみませんが、携帯電話を失くされた時の詳しい状況を聞かせて下さい」
メモを取りながら質問を始めるアスカJr.に対して、はあらかじめ、みんくから聞いておいた話を繰り返した。
「いつもなら、携帯電話はなるべく衣装のポケットなどに入れて、ステージに持ちこむようにしているんです。でも、今日のステージ衣装は、体にピッタリとフィットするタイプの物で、ポケットもついていなかったので、携帯電話や貴重品は控え室に置いて、鍵をかけて部屋を出ました。部屋の鍵はマネージャーさんに預けました。それで、ステージが終わって、マネージャーさんから鍵を返してもらって、部屋に戻ったら、鍵は同じようにかかっていて、お財布などの貴重品は残っていたんですけれど、携帯電話だけがなくなっていたんです」
「確かに、あなたの置いておかれた場所に携帯電話はなかったんですね？」
「はい。いつも持ち歩いている物を置いておくのは不安だったので、控え室を出る前には置き場所の確認をしましたし、戻ってすぐに、置いたはずの場所や、控え室の中を何度も探しました。それでも見つからないので、ホールの公衆電話から、自分の携帯電話の番号に電話してみたんです。そうしたら、控え室を出る時は確かに電源を入れておいて、電波も届く状態だったのに、『おかけになった電話は現在、電波の届かない区間にあるか、電源が入っておりません』という案内が流れて来たんです。それで思い返してみると、何だか控え室に戻った時、部屋に置いておいた物の位置が微妙に違っていたなって思い出して、あたしがいない間に誰かが部屋に入って、携帯電話を盗んだんだって、その時、気づきました」
「盗まれた携帯電話はどんな機種ですか？」
「機械に詳しい友達が手作りしてくれた、特注品なんです。色はピンクパールで、アンテナと電話の背中に黄色の星のマークがついています」
「大切な物なんですか？」
「はい、とても。手作りの特注品なので、あたししか使えない機能がある特別な物なんです」
アスカJr.は考えこむように、ペンを指先でくるくると回した。
「今、ホールの関係者に、一人ずつ事情聴取を兼ねた身体検査と持ち物検査をしています。それで見つからなければ、ホールのどこかに隠されている可能性が高いですね」
は瞳をうるませて、両手を祈りの形に組んだ。
「お願いします。必ず見つけて下さい」
アスカJr.はガッツポーズで応えてくれた。
「任せて下さい。おそらくセイント・テールは既に携帯電話のありかを知っていると思われます。携帯電話が見つかるのは時間の問題でしょう。後はセイント・テールを捕まえるだけです」
その時、館内の電気が一斉に消えた。
「怪盗セイント・テールだ！」
警官隊の声が響く。そして、館内放送がいきなりオンになった。
『……主よ、タネもしかけもないことをお許しください……』
「ステージだ！ セイント・テールのヤツ、よりにもよって、ステージの上に現れやがった！」
アスカJr.が叫んで、すっ飛んで行く。もまた身を翻し、アスカJr.とは別経路で、ステージの袖へと向かった。
アスカJr.がホールのドアを開けると、まさにステージのど真ん中にスポットライトを浴びて、ひらりとセイント・テールが降り立ったところだった。
「こんばんは！ セイント・テールのショーへようこそ！」
晴れやかな声でセイント・テールが挨拶する。
「この野郎！」
まさしく猪突猛進の勢いでアスカJr.はステージに向かって、客席の間を駆け下りていく。それを余裕の表情で見守ると、セイント・テールはマジックワンドでシルクハットを軽く叩いた。
「イッツショータイム！」
たちまち、シルクハットからは大量の風船と紙吹雪とリボンが飛び出して来て、客席を埋め尽くす。アスカJr.に続いて、客席に飛びこんで来た飛鳥刑事率いる警官隊は、足元を翻弄され、ステージに辿り着こうとしても辿り着けず、滑ったり転んだりし始める。
「それっ！」
セイント・テールがワンドを差し伸べると、客席の一つ、座席の下の位置から、ふわふわと一台の携帯電話が浮き出して来て、セイント・テールの手元に滑りこんだ。その携帯電話は確かに、ピンクパール色の、アンテナと電話の背中に黄色の星のマークがついたデザインの物だった。
「携帯電話は確かにいただいたわ！ ……ワン・ツー・スリー！」
セイント・テールが再びシルクハットを捧げると、今度は長い万国旗が飛び出して来た。そして、ステージの上から悲鳴が上がる。セイント・テールの足元には、ホールの清掃を担当していた男性スタッフの一人が万国旗に縛られ、転がされていた。凛としたセイント・テールの声が告げる。
「この人が、控え室から携帯電話を盗んで、客席に隠した犯人よ！」
客席の風船の間でもがいていたアスカJr.が、ハッとしたように呟く。
「そうか。清掃スタッフなら、ホール内の部屋全ての合鍵を持っているし、あらゆる場所に出入りしても疑われない。ステージが終わった後は、盗んだ物をひとまず人のいない客席に隠して、完全にひと気がなくなった後の掃除で回収できるって訳か……」
「じゃあ、後はよろしくね！」
その場から立ち去るべく、セイント・テールが再び、マジックを使おうとした瞬間、「ちくしょう！」と言う叫びと共に、携帯を盗んだ犯人が、縛られたままの姿で、セイント・テールに蹴りかかった。
「きゃあ！？」
セイント・テールがバランスを崩して転び、悲鳴を上げる。犯人は更にセイント・テールにタックルをかけようとした。
ステージの袖で見守っていたは、とっさにステージの緞帳を降ろした。緞帳の裾をかぶった犯人がもがいている隙に、セイント・テールのもとへ駆けつける。は犯人の男に向かって、隠し持っていた家秘伝の香水を吹きかけた。たちどころに男は意識を失い、ステージ上には、セイント・テールとの二人だけが相対することになった。
は落ち着いた口調で、芽美に向かって片手を伸ばした。
「セイント・テール、あたしに携帯電話を渡して。Ｍｉｎｋさんにはあたしが届けるわ」
芽美の瞳が驚きに丸くなる。
「さっきの香水……あなたはＭｉｎｋさんじゃないの？」
「いいえ、あたしは怪盗。事情があって、Ｍｉｎｋさんの身代わりを務めていたの。本人はホールの外の公園にいるわ」
芽美が何か尋ねようとした時、「待てー！ セイント・テール！」と言う、アスカJr.の怒鳴り声が緞帳のすぐ傍で聞こえた。重い緞帳の裾が次第にめくり上がって来る。どうやら、ステージの中へ入って来ようとしているらしい。芽美の口元がきゅっと引き締まる。
「分かったわ。携帯電話をお願い」
芽美はに携帯電話を手渡すと、見事な跳躍力でステージ上に跳び上がった。そして、天井を伝って、外へと飛び出して行った。
もまた、携帯電話を握り締めると、ステージの袖から一目散にホールの外へ出た。セイント・テールが現れた騒ぎのお陰で、ホールの出入りを見咎められることはなかった。
公園に辿り着くと、心配顔の白石みんくがベンチに座っていた。シスター服は既に脱いで、私服に戻っており、脱いだ服は荷物の形でベンチの横に置いてあった。
「みんくさん、怪盗セイント・テールが携帯電話を取り戻してくれたわ」
の言葉に、みんくの表情がぱあっと輝く。携帯電話を受け取ると、みんくは満面の笑顔で礼を言った。
「ありがとうございます！」
「じゃあ、あたしはこのまま消えます。みんくさんは変身して、ホールに戻ってあげて下さい。……あ、あと、このヘアピースだけ控え室に戻しておいて下さい」
ヘアピースを受け取ったみんくが、小首をかしげてを見る。
「こんなに完璧にあたしに変装できるなんて、あなたは一体、何者なんですか？」
は唇に人差し指を当てて、頭を横に振った。
「ズルいと思うかもしれないけれど、それは聞かないで。あなたに他人には言えない秘密があるように、あたしにも秘密があるの」
みんくは辛抱強い瞳でうなずいた。
「分かりました。あなたがそう言うなら、もう何も聞きません。でも、このご恩は決して忘れません。あなたにも、怪盗セイント・テールさんにも、本当に感謝しています。ありがとうございました」
そう言うと、みんくは公園を出て行った。公園の入口で眩しい光が一瞬放たれたかと思うと、そこにはピンク色の髪のアイドルが立っていた。そして、その背中は一瞬で消えた。
「……今の、もしかして、瞬間移動（テレポーテーション）？」
さすがの怪盗も真似できない謎の技に、はぽかんとＭｉｎｋが消えた跡を眺めていた。
その時だった。一陣の風が吹き、ふわりとの背後に舞い降りた者がいた。その気配にがハッと振り向くと、そこには風船を手にした怪盗セイント・テールが立っていた。
「……セイント・テール！？ 逃げたんじゃなかったの？」
驚くに、芽美は真剣な顔で呼びかけた。
「あなたに話があったから戻って来たの。お願い、教えて、怪盗。あたしの正体を知っていて、いつも助けてくれるあなたは一体、何者なの？ どうして聖良の秘伝の香水を持っているの？ そして、以前にあなたが言っていた、“天使の階段”って、何？」
は逃げられないと感じた。逃げようとすれば、芽美と争うことになる。もそれなりに腕に覚えがあり、家秘伝の技も取得している。だが、芽美の運動神経は抜群だし、マジックの腕は一流だ。二人が本気で争えば、どちらも無傷では済まないだろう。そんなことはしたくなかった。それに、芽美は怪盗ルシファーの娘だ。が探している物のことを思えば、芽美もまた知る権利があるとは考えられないだろうか。
はため息をついて、覚悟を決めた。作り声を止め、自分の本来の声で芽美に語りかける。
「……芽美、あたしよ」
顎に手をかけ、メイクをゆっくり外す。現れたの顔に、芽美は驚きのあまり、立ちすくんだ。は深々と頭を下げた。
「ずっと騙していて、ごめんなさい。あたしが怪盗なの」
「！？ 本当にが怪盗なの！？」
「ええ」とうなずいたは言葉を続けた。
「あたしが怪盗になった理由も全て話すわ。……だから、明日の朝、聖良と一緒に礼拝堂に来て」
夜の風が、素顔のまま向き合う、二人の怪盗の間を吹き抜けて行った。
続く
＜あとがき＞
またもや忘れた頃にやって来る、セイント・テールの更新です。ようやくヒロインの正体を芽美ちゃんに明かすことができました（長かった…(T△T)）
今回、登場するアイドルＭｉｎｋちゃんをご存じない方にご説明を。『電脳少女☆Ｍｉｎｋ』は、１９９９年から３年間連載された、立川恵先生のサイバーアイドル漫画です。
単行本全６巻が出ています。興味を持たれた方、ぜひお手にとってみて下さい♪
あと、わざわざヒロインがＭｉｎｋに変装しなくても、みんくがピンクのヘアピースをかぶれば済んだのにと考えた方へ。……大正解ですが、どうぞお見逃しを（爆）
そろそろ、この連載も終わりに近づいて来ました。もうしばらくお付き合いを願いますm(_
_)m
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