【４・ＪＡＣＯＢ’Ｓ ＬＡＤＤＥＲ】
聖華市には二人の怪盗がいる。一人の名は怪盗セイント・テール。誰かが不正な手段で手に入れた物を取り上げ、本来の持ち主に返している、神出鬼没の正義のドロボウ。
そして、もう一人、怪盗と名乗るドロボウが、最近になって聖華市に現れた。決して物は盗まず、その代わりに忍びこんだ家に、かつてその家から盗まれた物を『お返しします 怪盗』と書かれた一枚のカードと共に置いていく。
二人の怪盗の正体は、いまだ誰にも知られていない。実はその二人が聖ポーリア学院中等部のクラスメートだと知っているのは、怪盗、すなわち、ただ一人…。
☆★☆★☆
その日、聖ポーリア学院は十月の雨に打たれ、しっとりとした佇まいを保っていた。天候のせいか、いつもはにぎやかな生徒達も、心なしかおとなしく授業を受けていた。
昼休み、はいつものように、友達の羽丘芽美、深森聖良、そして涼子、恭子と机を並べて、お弁当を食べていた。すると、新聞部の佐渡真人が寄って来て、に声をかけた。
「さん、ちょっと頼みがあるんだけど」
「頼み？」
少女達、特に噂話が大好きな涼子と恭子はそろって箸を休め、と佐渡のやりとりを見守った。
「実はうちの新聞部が出してる聖ポーリア新聞に、転校生紹介コーナーがあるんだけど、さんの紹介がまだだろう？ それで、良かったら今日の放課後、新聞部の部室でインタビューと写真撮影をさせてもらいたいんだ」
「写真撮影？ うわ〜、すごいじゃ〜ん！」
「の記事が張り出されるの？ 楽しみだね！」
すかさず涼子と恭子ははしゃいだ声を上げたが、放課後と言われたは困り顔になった。もうすぐハロウィンのこの季節、聖ポーリア礼拝堂で予定されているハロウィン行事の準備のため、シスター見習いのは毎日忙しかった。
「…う〜ん…インタビューってどのくらい時間がかかるの？ あたし、放課後はシスター見習いのお仕事があるんだけど」
すると、同じシスター見習いの聖良が、笑顔で助け船を出した。
「インタビューの間は、わたしがちゃんの分もお仕事をしますわ。みなさんにちゃんのことを知ってもらう、いい機会ですもの。どうぞ行ってらっしゃい」
「あたしも聖良を手伝ってあげてもいいよ。今日はヒマだし」
芽美までが親指を立てて、「せっかくだから、行っておいでよ」とウィンクする。
が返事をするより先に、佐渡が素早く「ありがとう、深森さん、羽丘さん！」と答えた。佐渡はちゃっかり二人の少女の手まで握り、嬉しそうに瞳を輝かせている。断る理由を失ったは、苦笑して肩をすくめた。
「二人がそう言ってくれるなら、ちょっとくらいかまわないかな。…ごめんね、聖良、芽美。ありがとう」
「じゃあ、授業が終わったら、クラブ棟まで来てくれるかな？ こっちもなるべく早く片付くように、前もって準備をして待ってるよ」
明るく言って、佐渡は少女達の席を離れた。その時、は教室の反対側から、強い視線を感じて、振り向いた。
厳しい面持ちで、をまっすぐにらみつけていたのは、高宮リナだった。リナは、から少し離れた場所で、彼女と仲のいいクラスメートたちとお弁当を食べているところだった。
怪盗としてならともかく、自身にリナににらまれる覚えはない。が小首をかしげて見つめ返すと、リナはすっと視線を外し、クラスメートたちと他愛のないおしゃべりを始めた。
「ちゃん、どうかしましたか？」
があらぬ方向を見つめていることに気づいた聖良が、不思議そうに尋ねる。は慌てて視線を戻し、笑顔を作った。
「ううん、なんでもない」
なんとなく嫌な予感を覚えながら、はお弁当の残りを口に運んだ。
☆★☆★☆
放課後になり、はクラブ棟２階の新聞部まで出向いた。
朝から降り続いていた雨は、かなり弱まってはいたが、まだ細かい雨がしとしと降り続いていた。
新聞部の入り口脇の傘立てに濡れた傘を置いて、はドアをノックした。すると、佐渡の「どうぞ〜」という返事が響き、はドアを開けた。
室内では、佐渡一人がを出迎えた。部室の中央には、資料でいっぱいの大きな机が並べられ、机の周りに椅子が数脚置かれていた。壁のあちこちには新聞記事が張られ、天井にも写真を下げたロープが吊るしてあって、室内はかなり雑然としている。はキョロキョロと辺りを見回して、尋ねた。
「佐渡くんだけ？ 他に誰もいないの？」
「今日は活動日じゃないんだ。オレ以外の部員は、活動日じゃない日にわざわざ部室に来るほど、熱心じゃなくてね」
残念そうに肩をすくめると、佐渡は「まず、写真を撮らせてもらうよ」と言い出した。
は慌てて、持っていたカバンを床に置いた。ポケットから手鏡を取り出して覗きこみ、少し乱れていた髪をかきあげて直す。壁際にを立たせた佐渡は、いくつかのポーズを取らせて、写真撮影をした。
その後、椅子を勧められたは、おとなしく座った。佐渡も、机を挟んだの向かい側の椅子に座った。そして、机の上の資料をざっとよけて、代わりに片手大の録音機を置いた。
「インタビューの内容を録音させてもらいたいんだけど、かまわないかい？」
が「はい、どうぞ」と答えるのを確認してから、佐渡は録音機のスイッチを入れた。かすかな機械音が部室に漏れ出す。慣れない音には身じろぎし、肩を怒らせた。固くなったの表情を見て取って、佐渡は唇の端を軽く上げた。
「じゃあ、始めよう。今日は十月二十日。放課後の新聞部の部室にて、さんにインタビュー。…まず名前…と生年月日…と血液型、それと…スリーサイズも教えてくれるかな」
順々に答えていったは、うっかりスリーサイズまで口にしそうになって、ハッと口を閉じた。
「…それ、セクハラじゃない！ 転校生紹介に、スリーサイズなんて関係あるの？」
ムッとして聞き返すと、佐渡はいたずらっぽく笑った。
「関係はないけど、可愛い女の子には、いつも聞くよ。答えてもらえたことはないけどね。…あ、一度だけ、顔が二、三日腫れ上がるくらい、思いっきりひっぱたかれたことならあるか」
その答えに思わずは吹き出した。
「誰だって怒るわよ、そんな失礼なことを聞かれたら」
笑いながら言い返したところで、佐渡はの緊張をほぐすために、わざとふざけた質問をしたのだと気づいた。佐渡の作戦は成功し、はすっかり、普段のおしゃべりの口調に戻っている。は内心、彼の取材能力の高さに感心した。
さすがにスリーサイズは答えなかったが、その後のインタビューはなごやかに進み、は佐渡の質問に、きびきびと答えていった。趣味や特技などの自己紹介的なことや、学院生活の感想を一通り聞いた後、佐渡の質問はのプライベートへと移って行った。
「さんは今、ご家族と離れて、聖ポーリア修道院の近くで、一人暮らしをしてるんだよね。どうして一人で聖華市へ来たの？」
覚悟していた質問だったため、さほど驚くこともなく、平静を装って、表向きの理由を答えた。
「シスター見習いの修行をするためなの。あたしがもともと通っていた修道院では見習いシスターを受け入れていなくて、それで聖ポーリア学院の修道院を紹介してもらったの」
本当は、怪盗として盗まれた品物を返すために、聖華市へ来たのだが、もちろん佐渡がそれを知る由もない。佐渡は無邪気に感心の声を上げた。
「へえ、すごいな。さんがそこまで熱心に神様に仕えようと思ったきっかけは？」
「あたしの家はもともとクリスチャン一家なの。あたしが生まれる前に祖母が信者になって、両親もその影響で入信したらしいわ。だから、あたしは生まれた時から、神様にお仕えすることが自然と思うように育って来たの」
自分の家がクリスチャンであることは事実なので、この質問には、良心の呵責なしに答えることができた。
「生まれた時からか…。そういうところは深森さんと似てるね。じゃあ、将来の夢も深森さんと同じで、シスターになること？」
「ええ、シスターになって、一生、神様にお仕えするのが夢よ」
…怪盗であり続けることが、シスターになる夢と相反することだとは分かっている。それでも、シスターになることは、昔からの夢だったから、佐渡の質問にも心をこめてうなずいた。
佐渡は「うわあ」と、感心したような、それでいてガッカリしたようなため息をついた。は彼が誰を想って、ため息をついたのか、すぐに察した。クスッと笑って言い返す。
「まだ“見習い”なだけで、正式なシスターになったわけじゃないし、シスターになった後でも、愛する人ができて還俗する人だっているよ。佐渡くんが聖良を好きなら、誠実にアタックを続けるといいんじゃないかな。聖良は優しいから、本気で想ってくれる人の気持ちを踏みにじることはしないと思うよ」
「えっ？ あっ！ そ、そうだねっ！」
見事に内心を言い当てられた佐渡は真っ赤になって、うなずいた。そして、予想外の質問でに切り返した。
「さんは好きな人はいないの？ 飛鳥刑事に憧れてるって噂を聞いたことがあるけど」
今度はが赤くなる番だった。噂を流した張本人なら分かっている、涼子と恭子だ。
「べ、別に、飛鳥刑事のことが好きなわけじゃないよ。…ちょっと気になる人ではあるけど…」
ドギマギした拍子に、つい本音を言ってしまう。怪盗として、専任捜査官である飛鳥刑事は気になる存在であることは間違いない。
「…気になる…ね。…誰かのことを“知りたい”って思うのは、恋の第一歩だってこともありうるよ」
佐渡はクスッと笑った。
ちょうどその時、タイミングを図ったように、録音機のテープが最後までたどり着き、カチリという音をさせて止まった。
「恋じゃないわよ！ 飛鳥刑事はアスカＪｒ．のお父さんじゃないの。それに、あたしは神様にお仕えする身なんだから！」
は慌てて言い返したが、佐渡は嬉しそうにこう言っただけだった。
「分かってるよ。じゃあ、オレも飛鳥刑事に関する情報を仕入れたら、なるべくさんに教えてあげるから」
飛鳥刑事に恋愛感情がない以上、佐渡のおせっかいな申し出は断りたかったが、怪盗の捜査情報がなるべく欲しいのも事実だった。数秒間、心の中で煩悶した後、はしょんぼりと「…お願いします」と告げた。
「さて。テープも切れたことだし、インタビューはここで終わりということで。お疲れさま」
佐渡が言うと、は「うん」とうなずいた。
「記事になりそうなことを、きちんと話せてたらいいけど」
「充分だよ。取材協力、本当にありがとう。…そうそう、飛鳥刑事だけど、この頃、高宮さんと一緒に聞きこみ捜査をしているみたいだよ。高宮さんにこじつけて、会いに行ってみてもいいんじゃないかな」
リナの名前を出されて、の顔がひきつった。
「…そ、そうなんだ…」
「さんはこれから修道院に戻るんだよね？ 深森さんと羽丘さんによろしく」
佐渡はちゃっかりアピールしつつ、を見送る仕草を見せた。はそそくさと挨拶すると、荷物を持って新聞部の部室を出た。
☆★☆★☆
校舎を出ると、まだ空には雨雲が残っていたが、いつのまにか雨は上がって、晴れ間が覗いていた。水たまりを避けながら、は礼拝堂まで歩いた。
礼拝堂の前まで来たところで、は「あれ？」と立ち止まった。佐渡に飛鳥刑事の話題を出されて動揺したせいか、傘を忘れて来てしまったことを思い出す。は急いで、今来た道を引き返した。
新聞部の部室まで戻り、ドアの脇の傘立てに自分の傘を見つけて、手を伸ばしたところで、は動きを止めた。部室の中から佐渡の怒鳴り声がしたからだった。
「いきなり押しかけて来て、取材テープをよこせだなんて、納得いかないな！ きちんと説明をしてもらおうか!?」
「抵抗すると、公務執行妨害で逮捕するわよ！」
佐渡に居丈高に言い返しているのは、なんと高宮リナの声だった。
「あたしは市長の許可を得た、怪盗の専任捜査官なんだから！」
「だからって、どうしてさんのインタビューテープが必要なんだ!?」
「決まってるじゃない。彼女が怪盗かもしれないからよ！ さんについて、あたしはどんなことでも知りたいの！」
の背筋に冷たいものが走った。正体がバレるようなヘマは、これまでして来なかったつもりだ。それなのに、どうして怪盗の正体がだと知られてしまったのだろう。
は震えるこぶしをぎゅっと握りしめ、会話の続きに耳を澄ませた。佐渡が吐き捨てるように言い募っている。
「バカバカしい。さんは清く正しいシスター見習いだぞ。ドロボウのはずがないよ！ それとも彼女が怪盗だって言う、確実な証拠でもあるのかい？」
「証拠はないわ。…でも、疑わしいところなら、たくさんあるのよ。例えば、さんはカネモチ邸内に侵入していたのに、出入り口を警備している警官隊は、一度も彼女を見かけていなかった。また、篠宮邸に来たみんなの中に、さんの姿はなかった。そして、あたしのクラスメートなら、あたしに変装するのも簡単だってことよ。…そもそも、彼女が転校して来た時期と、聖華市に怪盗が現れた時期はちょうど重なるの」
「偶然の一致に決まってるよ。さんはクラスメートだぞ。友達を疑うなんて、ひどいじゃないか！」
非難がましい佐渡の言葉にも、リナは露ほども動じなかった。
「そうね、ただの偶然かもしれない。でも、もし偶然じゃなかったら？ …あたしは本気よ。必ず怪盗をこの手で逮捕してみせる。そのためなら、クラスメートだろうが、シスターだろうが、疑わしいものは徹底的に調べ上げるつもり」
「…もしかして、怪盗がキミに化けたことを、まだ恨んでるんじゃないか…？ だから、誰でもいいから、手当たり次第に疑ってかかってるんじゃ…」
最後まで言い終わらないうちに、佐渡の絶叫がドアの外まで響き渡った。
「いってー!!! なんで殴るんだよぅ〜!?」
「『恨んでる』ですってぇ!? あたしは、怪盗なんていうロクでもないコソドロを逮捕したいだけよ！ 分かった!?」
「ぐぇっ！ く、苦しいぃ〜！ …く…首…を…し…絞めないで…くれぇ…！」
怒りに裏返った高宮リナの声と、更に続く佐渡のうめき声が、なによりも佐渡の一言が正鵠をついていたことを示していた。
結局、は傘は取り戻したものの、ガックリと肩を落として、修道院に戻ることになった。
☆★☆★☆
聖ポーリア学院礼拝堂の二階には、いくつかの小さな部屋があった。今日のシスター見習いの仕事は、それらの部屋のひとつで、ハロウィンに飾るためのジャックオーランタンを作ることだった。
が礼拝堂に赴くと、聖良と芽美、そしてなぜかアスカＪｒ．がいた。三人は服の上にエプロンをつけて、せっせとカボチャをくりぬいていた。
「あれ？ アスカＪｒ．までどうしたの？」
の問いに、ノコギリでカボチャの底を切り取る作業をしていたアスカＪｒ．は、ぶすっとして答えた。
「たまたま職員室に行ったら、シスターに頼まれたんだ。力仕事だから、男子がいたほうがいいだろうってさ」
一方、聖良と芽美は、アスカＪｒ．の開けた穴から、スプーンでカボチャの中身をくりぬいている。
「インタビューはどうでしたか？ …あら？ なんだか顔色がよくないですわ。大丈夫ですか、ちゃん？」
の様子に気づいた聖良が、小首をかしげた。聖良の言葉に、芽美とアスカＪｒ．も手を止める。
「ホントだ。、どうしたの？」
「ここはオレたちが手伝っておくから、具合が悪いなら、先に帰れよ」
なんでもないとごまかすには、はガックリしすぎていた。それに、アスカＪｒ．がいることは、にとっては、むしろ好都合だった。リナの発言がリナの独断によるものなのか、それとも実際の捜査線上に、自分の名前が挙がっているのかを確かめようと、は心を決めた。
「…ううん、別に体調が悪いわけじゃないよ。インタビューもうまくいったし。…ただ、さっき、佐渡くんと高宮さんの話を立ち聞きしちゃったのが、ショックで…」
アスカＪｒ．の表情をうかがいながら、は尋ねた。
「高宮さんは、あたしを怪盗かもしれないから調べるって言ってたの。アスカＪｒ．と飛鳥刑事も、あたしのことを怪盗かもしれないって疑ってるの？」
途端にアスカＪｒ．はあきれ顔になった。
「…いいや。高宮が何を言ったかは知らねーけど、オヤジもオレも、今のところ、怪盗の捜査に関しては、特定の人物名を挙げるまでには至ってないよ」
アスカＪｒ．はうんざりした口調で、嘘をついているようには見えなかった。どうやらを疑っているのはリナ一人らしいと分かり、はこっそり胸を撫で下ろした。
二人のやりとりに、聖良が気の毒そうに頬に片手を当て、芽美は両眉を吊り上げた。
「あらまあ、大変ですわね」
「ひどいよ、高宮さん！ まで、そんな目にあわせるなんて…！」
てっきり驚くと思った聖良と芽美が、さらりと受け止めたことに、は面食らった。
「…あたし『まで』？ もしかして、あたし以外にも高宮さんが疑っている人がいるの？」
恐る恐るが聞き返すと、芽美は慌てて首を横に振った。そして、やや言いにくそうに、こう告げた。
「違うの。あたしが言ったのは、怪盗じゃなくて…怪盗セイント・テールのこと。高宮さんは以前に、あたしを…セイント・テールじゃないかって疑って、つけ回したことがあるのよ」
アスカＪｒ．の前で、芽美がセイント・テールの名を出したことに、はギョッとした。思わずアスカＪｒ．の顔を見るが、アスカＪｒ．はけろりとして答えた。
「高宮のヤツ、オレにも『羽丘がセイント・テールかどうか、賭けよう』とか言いやがったんだ。…結局、あいつはセイント・テールを捕まえることは諦めたみたいだけど」
は内心、アスカＪｒ．すら気づかない秘密を探り当てた、リナの眼力は大したものだと舌を巻いた。つけ回された芽美は、さぞかし苦労しただろう。なにせ彼女も本当の怪盗セイント・テールなのだから。
「ええと、それで、どうやって芽美の疑いは晴れたの？」
が聞くと、芽美とアスカＪｒ．は同時に赤くなった。動揺する芽美をさりげなくかばって、聖良がさらっと答える。
「今の高宮さんは、怪盗セイント・テールの正体は、女装した男性だと考えているようですわ。芽美ちゃんは女性ですから、疑いが晴れたということになりますわね、アスカＪｒ．？」
「ああ、そうだ」
慌ててアスカＪｒ．がうなずく。なぜか、その声はいくぶんうわずっていた。その口調から、はアスカＪｒ．は、セイント・テールが女性だと知っていると感じた。それと知りながら、わざとリナの勘違いを訂正していないということも。
宿敵であるはずの探偵と怪盗の心の結びつきが面映くて、はつい微笑んだ。
「…なるほどね。…つまり、あたしと怪盗が別人だって、高宮さんに証明しないといけないんだ」
『…それを証明するのは、絶対に無理だけど』と、こっそり心の中では言い足した。聖良が眉根を寄せて考えこむ。
「怪盗は変装の名人と聞きますし、疑いを晴らすのは難しそうですわね」
「アスカＪｒ．、あんたも一応、怪盗の捜査に加わっているんでしょう？ 高宮さんになんとか言ってあげられないの？」
芽美に肘でつつかれて、アスカＪｒ．は嫌な顔をした。
「無茶言うなよ。高宮がオレの言うことなんか聞くわけねーだろ」
同情心に満ちた三人の表情に、は罪悪感を覚えた。は本物の怪盗なのだから、捜査官であるリナが疑うのは、むしろ当然のことなのだ。
だが、その時、何かを思い出したように、いきなり芽美が言い出した。
「…あ、そう言えば…、アスカＪｒ．に聞こうと思っていたんだけど、“天使の階段”って、なんのことか分かる？」
突然の展開に、はドキンとなった。
―もしかして、アスカＪｒ．が自分の探している答えを知っているのだろうか…？―
期待に胸が苦しくなり、は芽美たちにバレないように、胸元をそっと押さえた。
「天使の階段？」
考えこんだのは一瞬で、アスカＪｒ．の回答は素早かった。
「“天使のはしご”とか“ヤコブの階段”とか言う、あれのことか？」
アスカＪｒ．は肩越しに、礼拝堂の窓の向こうの、雨上がりの空を親指で差した。
の高まった心音がゆるやかになる。アスカＪｒ．もの探している答えを知らないと、その返事で分かったからだった。ガッカリする気持ちを押し殺して、はきょとんとしている芽美に、アスカＪｒ．の答えの補足説明をした。
「ほら、雲の隙間から、太陽の光が射しこんで、まるで地上を照らす金色のスポットライトみたいに見えているでしょう？ あれがキリスト教で言う、“天使の階段”だよ」
「聖書には、昔、ヤコブという人が、夢で天に通じる光の階段を上り下りする天使を見たというお話が書かれているんです。きっと、昔の人には、あの光が天と地を結ぶ階段のように見えたんでしょうね」
聖良もニッコリして、の言葉を肯定した。三人の反応に拍子抜けしたように、芽美は「なあんだ、みんなが当たり前に知ってる言葉なんだね」と呟いた。
「それで、天使の階段がどうしたんだ？」
アスカＪｒ．に聞き返され、芽美は「あはは」とぎこちない笑いをしながら、顔の前で両手を広げて振った。
「あ…その…あたしの知ってる人が『天使の階段を探してる』って言ってたから、天使の階段ってなにかなあって思って…」
「おいおい、“天使の階段”は自然現象だぞ？ 気象条件が合った時に発生するもので、探して見つけるものじゃねーだろうが」
バカにしきった口調でアスカＪｒ．は肩をすくめた。
「なんですってぇ…!?」
芽美の声が怒りに裏返るのを聞き取って、は急いでフォローを入れた。
「“天使の階段”をモチーフにした絵画や彫刻、それとも、天使がデザインされた階段…そういう物のつもりで、『天使の階段を探している』って言ったかもしれないじゃない」
「だったら、そんな言い方なんかせずに、『美術品を探している』とか『階段を探している』って言うだろ」
「…だ、だから、それがどういう形の物かは、言った本人もハッキリ分かってなくて、ただ漠然と、“天使の階段”という名前のついた品物を探しているとしたら…」
「…、おまえ、言ってることがめちゃくちゃだぞ…？」
アスカＪｒ．には、が芽美をかばうために、つじつまの合わないことを一生懸命に説明づけようとしていると思われたらしい。
「無理するなよ。オレも言い過ぎた。…ごめん、羽丘。カボチャ作りを続けようぜ」
アスカＪｒ．はの肩をポンポンと叩き、芽美にも素直に頭を下げた。芽美もアスカＪｒ．が珍しく非を認めたため、怒りの矛先をひっこめて、二人はまたランタン作りに戻った。
アスカＪｒ．にあっさりいなされてしまったがしょんぼりしていると、リナのことを気にしていると思ったらしい聖良が、優しく微笑みかけて来た。
「高宮さんのことですけれど…。ちゃんは何も悪いことはなさっていませんもの。きっと高宮さんも、いつかは分かって下さいますわ」
祈りの形に両手を組み、なぐさめるように言う聖良に、は良心の呵責を感じつつ、「…うん。ありがとう、聖良」と力なく相槌を打った。
実は怪盗として、が芽美に伝えた『天使の階段を探している』という言葉は、まさしく『“天使の階段”というキーワードだけが分かっている、どこにあるかも分からない、なにかを探している』という意味だった。しかし、まさかアスカＪｒ．に、その言葉を言ったのは自分だと打ち明けるわけにもいかない。
…おまけに、もうひとつ問題があった。そのことを考えると、は今くりぬいているカボチャに自分の頭をぶつけたくなった。
次に、怪盗が盗みに入る予定なのは、聖華市役所の市長室。つまり、高宮リナの叔父である森中市長のところだった。…予定の変更はできない。聖華市で怪盗が訪れるべき場所は、もうそこしか残っていないのだ。
おそらく、市長室へ参上するという予告状を出したら、高宮リナはカンカンに怒り、ますますへの監視を強めるに違いない。だが、予告状なしに怪盗が現れれば、今度はリナの疑いを深めることになってしまう。
だが、“天使の階段”の手がかりを見つけるために、はどうしても怪盗として、働く必要があった。
―主よ、教えてください。あたしは一体、どうしたらいいのでしょう…？ “天使の階段”とは何ですか？ どこにあるのですか…？ …あたしは本当に“天使の階段”を見つけることができるのでしょうか…？―
“天使の階段”を見つけるために、怪盗になり、聖華市までやって来たのだ。途中で投げ出すわけにはいかない。
は胸元の十字架をそっと片手で握り締め、重苦しいため息をついた。
続く
＜あとがき＞
思いっきり久々の更新で、ごめんなさい（滝汗）本当は去年のハロウィンにアップの予定でした…（泣）
しかも続いちゃったし…。次回はいよいよハロウィン当日。リナちゃんと対決です（笑
ヒロインがなぜ“天使の階段”を探しているかの理由についても、次回で明らかにする予定…。
…次はいつアップできるか自信ありませんが（汗）、どうぞ、気長に待ってやってください。よろしくお願いします〜。
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