５月１９日 リナちゃんHAPPY BIRTHDAY♪
ＳＴＥＰＳ ＯＦ ＬＯＶＥ〜０から始まる未来〜
Ｆ美術館で展示中の「太陽の王冠」の噂が、聖ポーリア学院で流れた数日後。
一晩中、大雨が降った翌日に、飛鳥大貴は学校を欠席した。早朝、通学路の途中でびしょぬれになって、熱を出しているところを、同じクラスの羽丘芽美が見つけたらしい。芽美はアスカJr.を家まで送り届けてから登校したため、遅刻した。
これが他のクラスメートの話だったら、リナは気にも留めなかっただろう。だが、飛鳥大貴ことアスカJr.はリナの片想いの相手で、羽丘芽美は恋のライバル。しかも、この頃アスカJr.と芽美はお互いを意識してか、妙にぎこちなく見えた。
嫌な予感がした。予感を否定したくして、…いや、もしかすると、どこかで確信を持って、リナはその晩、アスカJr.の家に電話をかけた。
電話に出たアスカJr.は風邪声だったが、明るかった。
「熱を出したって聞いたけど、平気？」
『まだ微熱があるけど大丈夫だ。羽丘も宿題を持って見舞いに来てくれたし』
芽美の名前を呼ぶアスカJr.の口調が、心なしか弾んでいる。リナはムッとした。
「…なんだかうれしそうね」
嫌味のつもりだったのに、次の瞬間、アスカJr.はけろっと言い放った。
『今朝、羽丘に好きだって言ったんだ』
心臓が張り裂けるかと思った。やっとの思いで出たのは、かすれた否定の言葉。
「…ウソ…」
『ウソなんかじゃねーよ。気づいたんだ。羽丘がそばにいてうれしいって』
幸せそうなアスカJr.の声を、それ以上聞いていられなくて、リナは乱暴に言った。
「あっそう！ 末長くお幸せにねっ！」
がっしゃ〜ん！ 思いきり受話器を叩きつける。
受話器の向こうでは、耳を痛めたドンカン男が、不思議そうに首をかしげていた。
『…高宮のヤツ、なにを怒ってるんだ〜？』
その晩、リナはベッドで声を上げて泣いた。
初めて会った時、アスカJr.はリナを花吹雪からかばってくれた。大柄で力持ちの上、男勝りな性格のリナを、自分より小柄な男の子が守ってくれたのは、生まれて初めてだった。それからずっと、リナはアスカJr.に恋していた。
転校先のセント・ポーリア学院で再会してから、リナはアスカJr.に積極的にアタックし続けたが、ドンカンなアスカJr.は気づいてもくれなかった。
…アスカJr.がひたすら見つめていたのは、怪盗セイント・テール。…そして、同じクラスの明るく活発な女の子、羽丘芽美だったから。
明日から２人が登校すれば、わかりやすい彼らのことだし、両思いになったことは、クラス全員がすぐに気がつくだろう。
ケンカ友達の２人の名コンビぶりは、クラス全員が認めるところだし、みんな、カップルの成立を心から祝福するに違いない。
クラス中に冷やかされるアスカJr.と芽美の姿を想像して、リナは胸が苦しくなった。
―羽丘さんと２人で、幸せそうに微笑むアスカなんて、あたしは見たくない。―
☆★☆★☆
翌朝、鏡の前で泣きはらした自分の顔とにらめっこしながら、リナは唐突に決めた。聖華市を出よう。
リナの家族が以前にいた町。そこには、聖華市に引っ越す前に住んでいた家が、そのまま残っている。リナはその家で一人暮しをしたいと両親に申し出た。
言い出したら聞かない娘を熟知している両親は、リナの意志が固いのを見てとり、それで娘の気が済むならとしぶしぶ承知した。早速、リナは身の回りの物を荷物にまとめ、家を出た。
その朝、アスカJr.は９時すぎに自分のベッドで目覚めた。体温計ではかってみると、平熱に戻っている。
「…２時間目には間に合いそうだな」
身支度をすませて家を出る。愛用の自転車に乗りこみ、学校へ向かう坂道を走って行く。
だが、途中のバス停でアスカJr.は急ブレーキをかけた。見知った少女が私服姿で、バスを待っていたのだ。
「高宮？ おまえ、こんなところでなにしてるんだ？ 学校は？」
パーカーにジーンズ姿のリナは、ビックリしてアスカJr.を見つめ、小さく舌打ちした。よく見ると、リナの足元には、大きな旅行カバンが置いてあった。
「旅行にでも出かけるのか？」
のんきなアスカJr.の質問に、ムッツリとリナは答えた。
「…あたし、この街を出ることにしたの」
唐突なリナの言葉に、アスカJr.はポカンとなった。
「…街を出るって…転校するのか!? なんでまた急に…!?」
坂の向こうから、駅へ向かうバスが走ってくる。ポケットから小銭を取り出しながら、リナは肩をすくめた。
「どうでもいいでしょ。バスが来たわ。さよなら、アスカ」
いつにないリナのつっけんどんな様子に、アスカJr.は意地になった。しつこく尋ねる。
「昨日の電話では、転校するなんて言ってなかったじゃないか。悩みとか困ったことがあるなら、相談に乗るぞ？」
リナが無視を決めこんでいると、アスカＪｒ．の口調はだんだん切り口上に変わっていった。
「オレが休んでる間に、なにかあったのか？ どうしたんだよ、高宮？ らしくないぞ？ おい、ちゃんと事情を説明しろよ！」
納得のいく答えを得るまで、アスカJr.はリナを放しそうにない。リナの堪忍袋の緒がプチッと切れた。
「うるっさいわねぇ！」
すさまじい勢いで怒鳴りつけられ、アスカJr.は自転車から転げ落ちそうになった。
「…あたしが出て行くのは、あんたが好きだから…っ！ あんたと羽丘さんがいっしょのところなんて、見たくないからよっ！ 分かったっ！？」
目も口も開けっ放し、ぽか〜んとなったアスカJr.の顔には、『リナに好かれているなんて、全く気づいておりませんでした』と書かれている。
タイミングよく停車したバスに、リナはさっさと乗りこんだ。
リナが行ってしまうことに気づいて、アスカJr.は慌てて手を伸ばした。
「待てよ、高宮！ オレ…！」
差し出されたアスカＪｒ．の手を、思いきり振り払ったリナの瞳には、大粒の涙が光っていた。
「分かってるわよ！ 大体、あんたたちはくっつくのが遅すぎたくらいなんだから…！」
無情にもバスのドアは、アスカJr.の目の前で音を立てて閉まった。
乗車料金を払い、窓際の席についたリナは、遠ざかって行くアスカJr.の呆然とした表情を見ながら、そっと呟いた。
「…バカ…」
…だが、アスカJr.は黙ってバスを見送らなかった。いきなり自転車にまたがると、車道に飛び出し、猛然とバスを追いかけ始める。そのスピードは、さすがセイント・テールを追いかけ慣れているだけあって、常人とはかけ離れていた。みるみるうちにバスに近づく。
「待て！ 高宮！」
アスカJr.の呼び声が近づいて、リナはあきれるより先に腹を立てた。バスの窓を開け、ジリジリと近づく自転車に向かって怒鳴りつける。
「あんた、バカじゃないの!? 危ないから、止めなさいよっ！」
一瞬ひるんだ自転車は、少しバスに引き離されたが、再び渾身の力をこめて、キコキコキコキコ…とペダルが漕がれ、バスに近づく。
「転校なんか止めろよ！」
窓から顔を出したままのリナに、アスカJr.が怒鳴る。
「なんでよっ!? あんたは羽丘さんが好きなんでしょ!?」
返事は速攻でキッパリしたものだった。
「羽丘が好きだ！」
リナはアスカJr.になにか投げつけてやりたくなった。だが、手近な物がなく、代わりに怒鳴り返す。
「だったら、あたしなんか追いかけてないで、羽丘さんのところへ行きなさいよっ！」
そのまま顔をひっこめ、窓をぴしゃりっと閉める。
だが、アスカJr.は諦めず、更にスピードを上げて、バスと並んだ。
「高宮、行くな！ 聞いてるのか!? 高宮！ おい！ 行くなってば！」
しつこさにたまりかね、再びリナが窓から顔を出すと、アスカJr.は思いきり怒鳴った。
「オレ、おまえのこと、ライバルだと思ってるんだ…！ クラスの誰も、セイント・テールをつかまえるなんてムリだって、頭からバカにして…。高宮だけだった！ いっしょにセイント・テールを追いかけてくれたのは！」
アスカJr.のいる学校に転校した初日、クラスメートの前でリナが宣言したことを、アスカJr.はずっと覚えていたらしい。
『悪いやつは、みーんなあたしのテキ！ とくに怪盗セイント・テールなんていう、ふざけたコソドロは、このあたしがつかまえてみせるわ！』
それからリナはアスカJr.と張り合って、ずっとセイント・テールを追いかけていた。
リナ自身の正義感から。アスカJr.に一途に追いかけられるセイント・テールへの興味と嫉妬心から。…そして、アスカJr.の追いかけるものを、いっしょに追いかけられる喜びから。
…だが、セイント・テールの正体が男だと知ってから、リナはセイント・テールを追いかけるのを止めていた。セイント・テールよりも、アスカJr.自身だけを追いかけたいと思い始めたから。
聖華市に転校してから、アスカJr.と共に過ごした、短くも楽しかった日々を思い出し、リナはつい胸をつまらせた。
そんなリナに向かい、思いきり息を吸いこんだアスカJr.は、最大ボリュームで怒鳴った。
「セイント・テールをつかまえたら、誰よりも真っ先に見せたいのは、高宮なんだっ…！ だから、行くなっ…！」
怒鳴り終えたアスカJr.の自転車がよろめいた。そのまま道端の電柱に向かって、つっこんでいく。思わず、リナは座席から立ちあがっていた。
「アスカっ！ 危ない！」
どんがらがっしゃ〜んっ！ すさまじい音と共に、自転車が電柱に正面衝突し、アスカJr.は歩道に放り出された。そのまま倒れこみ、ピクリとも動かない。
リナは全身から血の気が引くのを感じた。
走って運転席に駆け寄り、運転手の首を締め上げる。
「バスを止めなさい！ 下ろして！」
キキーッ！ と急ブレーキをかけて、道の途中でバスが止まった。荷物も持たずにリナは駆け下りた。倒れたままのアスカJr.の元へ駆けつける。
「アスカっ！ しっかりしなさいよっ！」
リナが頬を叩くと小さくうめいて、アスカJr.は目をあけた。起きあがろうとして、すぐにへたりこむ。
「どこかケガしたのっ!? 大丈夫っ!?」
「…どこも痛くねーけど…なんか、ふらふらする…」
見れば、アスカＪｒ．の顔が赤い。慌ててリナが額に手を当てると、熱があがっていた。ケガはないが、むちゃをしたせいで、風邪がぶり返したらしい。
「…高宮、行くの、止めてくれたのか…？」
ぐったりと座りこんだまま、アスカJr.はリナの顔を見て呟いた。泣き笑いの表情でリナは言い返した。
「初めて会った時から、あんたって本当に変わってない。あいかわらず、よけるのとかできない、一本気バカなんだから」
「おまえこそ、あいかわらず、やることが突拍子もなくて、ムチャクチャだぞ」
無言でにらみあううちに、なぜか笑いがこみあげ、２人は同時に吹き出した。
道行く人が不審気に見る中、二人は壊れた自転車の横に座りこみ、ゲラゲラ笑い続けた。
やがて笑い止むと、目じりにうかぶ涙を拭いながら、リナは言った。
「セイント・テールには、もう興味ないわ。…でも、覚えときなさい。あたし、将来は絶対に優秀な婦警になって、悪いやつはみーんなつかまえてみせる。あんたがヘボ探偵になったって、手柄なんか立てさせてやらないからね」
熱と急激な笑いのせいで、真っ赤な顔をしながらも、アスカJr.が言い返す。
「言ったな。オレこそ絶対に優秀な探偵になって、警察なんてお払い箱だ」
負けず嫌いの二人の視線ががっちりと合わさる。
どちらともなく手を伸ばし、２人は固く握手を交わした。
☆★☆★☆
壊れた自転車を２人でひきずりながら、リナとアスカJr.はアスカJr.の家へと向かった。
「アスカ…」
ぽつりと呟いたリナに、アスカJr.は「なんだ？」と聞き返した。
「あたし、後悔しないからね。あんたを好きになったことも、あんたをあきらめたことも」
「うん…」
うなずくと、アスカJr.は静かに言った。
「…本当にごめん。…そして、ありがとうな」
その間、リナは一度もアスカJr.の顔を見なかった。
うつむいたリナから零れた雫が、ひいている自転車のハンドルを濡らす。それと気づきながら、アスカJr.は黙って見ないふりをした。
壊れた自転車がきしみながらも、ゆっくり進んで行く。その音だけが静かに響いていった。
〈ＴＨＥ ＥＮＤ〉
〈Ｌｏｖｅ Ｇａｍｅ＝０、完全試合を指す〉
ＢＧＭ ： ＳＩＮＧ ＬＩＫＥ ＴＡＬＫＩＮＧ 『Ｓｔｅｐｓ ｏｆ ｌｏｖｅ』
： 永島由子（ as.高宮リナ）『０から始まる未来』