【１．Ｔｈｅ Ｇｉｒｌ Ｍｅｅｔｓ ＴＲＯＯＰＥＲ】
その晩は案の定、パトカーのサイレンだの野次馬の話し声だので、の住居の周辺はひどく騒がしかった。
「うるさいなー。もー、今、何時だと思ってんのよ」
何度目か数えられない独り言を漏らし、布団の中で寝返りを打つと、は忌々しげに舌打ちした。壁にかかった時計は、草木も眠る丑三つ時、午前二時を指しているが、外の騒ぎは一向に収まる様子はない。
その時だった。なにか裏庭で鈍い音がして、はベッドから跳ね起きた。大学の授業が始まるのは十月からだが、今はまだ九月の半ば。三階建て、九世帯が入居できる学生マンションに住んでいるのは、早めに実家から戻って来ただけだということを、唐突に思い出す。
「今の音…何？ まさか…泥棒…!?」
最初は無視しようとしたが、続いてかすかだが、うめき声のような物音が、同じく裏庭から響いて、はビクッと体を強張らせた。とてもではないが、再びベッドに安心して横たわる気にはなれない。
は怯えつつも、そっと裏庭に続く部屋の窓を開けた。
「…誰かいるの…？」
次の瞬間、は息を呑んだ。部屋のベランダの向こう、高塀で隣家との境目を区切られた裏庭の隅に、黒い服を着た人物がうずくまっている。
振り向いた相手の顔が、の部屋の明かりに映し出される。途端にの思考は停止した。
「伸さん…？ こんな時間に、そんな所で、何やってるんですか…？」
「…ちゃん…」
ため息交じりの弱々しい声が、相手から漏れた。
「ちょっと足をくじいちゃったみたいで、動けないんだ」
「ええっ！？ 大丈夫ですかっ！？ …ちょっと待ってくださいね！ すぐそっちに行きますからっ！」
パジャマ姿だということも忘れ、驚いたは慌てて部屋を出て、マンションをぐるりと回りこみ、裏庭に走りこんだ。夜目にも、片足を抱えてうずくまる伸の姿は痛々しかった。
「と…とりあえず、うちにどうぞ」
部屋が片付いていて良かったとしみじみと思いながら、肩を貸して、伸を部屋に招き入れる。
「湿布ありますけど…」
冷スプレーと湿布薬を差し出したは、伸が長い黒タイツを履いていることに気づき、どう手当てしようかと迷った。
「ハサミを貸してもらえるかな？」
さらっと言ってのけた伸は、ハサミを使って布を裂き、左足首を出した。足首の腫れ具合を確かめ、スプレーをかけた後、湿布を貼ったは安堵の息をついた。
「これくらいの腫れなら、大したことなさそうですね」
「へえ…。詳しいんだ？」
「あたし、ドジだから、良く転ぶんです。だから、自慢にもなりませんけど、痛みと腫れ具合で、怪我の程度を判断するのは得意なんです。…でも、今は無理に歩かないほうがいいですね。ナスティさんか、遼さんに迎えに来てもらったらどうですか？」
伸は胸ポケットから携帯電話を取り出すと、自宅らしい番号を押した。キッチンで緑茶を淹れているの耳に、伸の落ち着いた声が届いた。
「…ナスティ、僕だ。…うん、心配かけてゴメン。ちょっとドジっちゃって。今、さんのマンションにいるんだ。…そんなに怒らないでよ。お土産はちゃんとあるから。…それより迎えに来てくれるかな。足をくじいちゃって、あまり歩けないんだ。…平気だよ。ちゃんが手当てをしてくれた。…うん。ええっと、ここの住所は…」
「駅前のグリーンマンションの一〇三号室です」
が口を挟み、伸はそれを復唱した。
「…それで、ナスティ。頼みがあるんだけど、着替えを用意しておいてくれるかな。…あと、持って帰るお土産がひとつ増えたからって、皆に言っておいて。…じゃ、待ってるから」
電話の向こうで、「伸！」という悲鳴めいたナスティの声が聞こえたが、気にせず、伸はさっさと通話を切った。
「お茶をどうぞ」
そう言うと、は伸に温かいお茶を差し出した。自分の分の緑茶も確保して、彼の向かい側に座る。伸は申し訳なげな笑みを浮かべた。
「すぐに迎えに来てくれるみたいだ。夜遅く本当にゴメン」
「いえ、…あたしこそ、こんな格好で…」
自分のチェックのパジャマ姿を見下ろして、は赤面した。
「ちゃんはパジャマ姿も可愛いよ。僕としては役得だったかな」
気障なせりふをさらりと言い、伸は静かに切り出した。
「…どうして僕が、こんな時間に庭にいたのか、聞かないの…？」
「え？ あ、そう言えば、忘れてました。…外がずいぶん騒がしかったですけど、伸さんも捕り物見物に来てたんですか？」
ビックリし続きで、忘れていたと頭をかくに、伸はプッと吹き出し、笑い転げた。
「…ちゃんって…以前から思ってたけど…本当に素直だよね…」
「…？ …あの…伸さん…？」
笑われた訳が分からず、きょとんとするに、伸は笑いすぎて涙の浮かんだ緑色の瞳を更に細めた。
「落ち着いて考えてごらん。ここの裏庭は塀に囲まれていて、道路に続く扉には内鍵がかかってた。おまけにマンションの入り口は暗証番号を押さないと入れないシステムになってる。その庭の中に、黒ずくめの怪しい格好をして、野次馬にしては遅すぎる時間に、足をくじいて現れた僕。…導き出される結論は、ただひとつだと思わないかい？」
ガシャン。思わず手の中のカップを取り落とし、は口を開きかけた。ただし、声は出ず、何故か急にめまいと眠気に襲われて、前のめりに倒れかかった。
「ごめんね。即効性の睡眠薬をお茶に入れさせてもらった。副作用はないから安心して」
ふわりと少女を抱き止め、伸はささやいた。
「怪盗トルーパーって言うのは、僕らのことなんだ。…顔を見られた以上、君を放ってはおけない。ちゃん、君を…盗ませてもらうよ…？」
折りしも玄関のチャイムが鳴り響く。
『…伸、無事か？ 迎えに来たぞ！』
インタフォンから聴こえて来る心配そうな声が、真田遼のものだと気づく前に、は意識を失った。
☆★☆★☆
「…宝石を盗みに行って、どうしてちゃんまで盗んで来ちまうんだよ!?」
大声で騒いでいるのは秀の声だった。
「…逃げる途中で足をくじいた上、さんに顔まで見られるとは…。伸、不覚を取ったな」
「仕方ないだろう。情報の伝わり方が予測より速くて、逃走経路を変更しなくちゃいけなかったんだから」
手厳しい一言は征士のそれであり、伸が不満気に言い返している。
「予測は完璧だったわ。…考えられるのはただひとつ、横槍が入ったということよ」
ナスティの言葉に、遼が苛立たしげな声を上げる。
「阿羅醐の手の者の仕業か。どこまで俺たちの邪魔をすれば気が済むんだ」
「残る宝石はあと二つ。向こうもそれだけ焦っているということだ」
当麻がたしなめるような口調で、遼に言い返す。
「…それより、そろそろ薬が切れる頃なんだけど、ちゃんを起こしてもいいかな？」
伸の声がすぐ近くで聞こえて、柔らかな手がの頬に触れた。何かつんと来る物が鼻の下に押し当てられる。は顔をしかめ、薄目を開けた。緑の瞳の青年が穏やかに自分を見つめている。
「気がついた…？」
「…伸さん」
呟いてから、慌てては体を起こした。かけられていた毛布が床に落ちて、パジャマ姿のまま、見知らぬ場所に連れて来られたことが分かる。
ビクビクしながら周囲を見回すと、そこは暖炉のある広い応接間だった。自身は応接間の中央にあるソファーに横たわっていたらしい。その上、を囲むように、ＦＡＲＡＷＡＹの従業員全員が思い思いの姿勢で、ソファー周辺に集っている。
の枕元に膝を折って座っている伸は、黒ずくめの格好からジャケットとジーンズ姿に着替えていた。左足には包帯が巻かれており、とりあえず元気そうだった。
「…ここはどこですか!?」
「ＦＡＲＡＷＡＹに隣接している、あたしの家よ。あなたを連れて来てしまったけど、危害を加えるつもりはないわ。心配しないで」
悲鳴を上げるに、向かい側のソファーに腰かけて、ノートパソコンを開いていたナスティが、おっとりと告げた。
「危害って…だって…あたしをどうするつもりなんですか…？」
怯え切って、歯の根の合わないに、ナスティの背後からパソコンを覗きこんでいた当麻が、皮肉気な微笑を向けた。
「言っておくが、君が伸に一服盛られて眠りこんでから、すでに一時間が経過している。どうにかしようと思ったら、とうの昔にやっているさ。こっちには連れて来てしまったが、それ以外は君に指一本触れていない。怪盗トルーパーは殺さず、傷つけず、必要以上に盗まないがモットーでね」
「…か、怪盗トルーパーって…本当にＦＡＲＡＷＡＹの皆さんのことなんですか…！？」
裏返ったの言葉に、美人マスターと五人のアルバイトは重々しくうなずいた。
「実はそうなんだ。…済まない。君を巻きこんでしまって…」
叱られた子犬のような表情で、遼が謝罪を口にする。
「遼、この状況じゃ、謝っても間抜けに聞こえるだけだぞ？」
呆れた秀のツッコミに遼は顔を赤らめた。
「…だ、だけどっ！ さんは伸を助けてくれたのに、恩を仇で返すような真似をして、怖がらせるなんて、気の毒だ！」
「…とにかく、事情を彼女に話すしかないだろう」
冷静な征士の指摘に、しばらく誰が口火を切るかの無言の押し問答が展開した後、渋々と言った様子で伸が口を開いた。
「…実は、ナスティと僕の祖父は、数年前に病気で亡くなったんだけど、Ｋ学院大学の教授で、エネルギー学の研究をしていたんだ。…そして、祖父はある時、とんでもない鉱物エネルギーを発見した」
当麻が続きを受ける。
「外見は普通の宝石だが、特殊な超音波を浴びせることにより、星ひとつを簡単に吹き飛ばすほどのエネルギーを発する。柳生博士はそれが地球上に散らばっている、全部で六個の宝石の持つ力だと突き止めた」
「その六個を総称して、俺たちは『アーマージュエリー』と読んでいる。俺たちはみんな、博士の縁者で、博士の死後、その遺志を継いで、悪用を防ぐために『アーマージュエリー』を集めているんだ」
遼の言葉に、秀が指を六回折った。
「ルビー、トパーズ、エメラルド、サファイア、アクアマリン、そしてダイアモンド。中でもタイヤモンドはそれ一個だけで他の五個を合わせた以上のパワーを持ってるらしいぜ。大きさはどれも、片手で包めるくらいだけどな」
「あたしたちが、これまでに世界中を回って集めたのは、トパーズとサファイア、そして今日、手に入れたルビー。残念ながら、エメラルドはあたしたちの敵の手に渡っているの。残りはアクアマリンとダイアモンドだけど、これは日本にあることが分かっているわ」
ナスティが真面目な顔つきで言う様子は、とても冗談を言っているようには見えない。だが、あまりにも突拍子のない話で、いきなり信じろと言われても、には無理な相談だった。はかすれる声を振り絞って尋ねた。
「…宝石に力があるなんて…信じられません。…第一、悪用を防ぐためなら、どうして盗むんです？ ちゃんと研究の内容を世界中に発表して、事情を説明すれば…」
「原子力より強力で、放射能の心配もない武器があると、世界中に公表しろと？ たった六個の宝石を奪い合って、第３次世界大戦が起きてもおかしくないんだ。…かといって、国宝クラスに指定されてる宝石を買い取る金もないしな」
当麻は皮肉気に唇をゆがめた。むすっと征士が続ける。
「…しかも、私たちには敵がいる。博士と共同研究を行っていた阿羅醐という男だ。奴は手下を使って『アーマージュエリー』を盗み、宝石のエネルギーと制御方法を裏ルートで売りさばこうとしている。既に奴はエメラルドを手に入れている。油断はならない」
「…じゃあ、どっちにしろ、もう宝石の力というのは、世界には知られてるんじゃ…」
おずおずとが言いかけると、当麻が「それはない」と言い切った。
「博士が死の間際に完成させた『アーマージュエリー』のエネルギー制御システムを、阿羅醐は知らないんだ。宝石を手に入れても、システムがなければ役に立たない。まだ売りこむことはできないはずだ」
「僕たちの目的は、祖父の遺志を継いで、全ての宝石を集め、悪用される前に破壊することなんだよ」
伸がまとめたところで、つと当麻が立ち上がった。
「論より証拠だな。…実際の宝石の力を見せよう」
ナスティの屋敷の地下に案内されたは、そこが広い実験室になっていることに驚いた。宝石の力の真偽はともかく、ここまで大がかりで精密な実験室を持っているということは、彼らがそれを信じており、実際に研究が行われていることは確かだった。
顕微鏡のような外見をした機械の下に宝石をはめ込むと、その延長線上に小さなクッションを置いて、当麻は機械のスイッチを入れた。
「今日、手に入れたルビーのエネルギーを試す」
かすかな機械音が漏れ出すと、当麻がひとつのボタンを押した。同時にシャラーン、シャラーンと長く尾を引く、鈴の音が鳴り始める。
「人間の耳には鈴のように聞こえる。実際は独特の周波数を持った超音波だけどな」
は息を呑んだ。音を浴びた宝石がひとりでに赤く輝き始めたのである。
「気をつけろ、当麻！」
遼が声をかけた瞬間、宝石から炎が走った。ボンッという爆発音と共に、クッションが破裂し、天井に届くまでの炎が一気に燃え上がった。自動的にスプリンクラーが作動し、まもなく炎は鎮火した。火が消えた後、クッションは跡形もなく消え失せ、床と天井には大きな焦げ跡が残っていた。
「ルビーには炎を操るエネルギーが秘められているのか。…博士の言っていた『烈火の珠』とは、このルビーのことらしい」
驚きのあまり、声も出ないでいるに、当麻は肩をすくめて見せた。
「手品なんかじゃないぞ。あのクッションはさっきまで君が枕にしてた物だ。火薬なんか仕掛ける暇はなかっただろう？」
「トパーズは大地を操る『金剛の珠』で、サファイアは風を操る『天空の珠』だったわ。…奪われているのは、エメラルドの『光輪の珠』、そして、まだ手に入れていないのは、アクアマリンの『水滸の珠』とダイアモンドの『輝煌帝の珠』ね」
ナスティの言葉を聞いているうちに、の視界がみるみるうちに暗くなった。青年たちの慌てた呼び声が響く。
「ちゃん！？」
ドタッ…。そして、この日、二度目の気絶をはすることになった…。
続く
＜あとがき＞
光輪ファンの方、すみません。魔将さんたちの鎧も入れると収拾つかなくなりそうだったので、
この作中に登場するのは６つの鎧のみです。あと、今回、説明ばかりの内容ですみません。
次はもう少しドリームらしくする予定です。
前へ戻る 次へ進む
ＴＯＰへ戻る