の学校はマンモス学校で、生徒数も多い。名字はともかく、名前でシュウという文字を持つ人物はいくらでもいるだろう。第一、【シュウ】というハンドルネームが、本名から取られたとは限らないのだ。
【シュウ：じゃあ、なるべくたくさん話しかけて、仲良くなってみろよ。告白しやすくなるぜ、きっと】
【：無理だよ。いつも緊張しちゃって、挨拶するのがやっとなんだもん。嫌われたくないから、今は寝顔を見てるだけでいいの。目を覚まして、ちょっとでもこっちを見てくれないかな…なんて、思いながらね(*^_^*)】
【シュウ：そんなもんかなー】
それで、その話題は一旦おしまいになったが、それ以来、チャットでと【シュウ】の二人だけになると、たびたび、その『の好きな人』の話題が持ち出されるようになった。
今日は授業が終わった後に、さよならの挨拶ができたとか、今日の授業もやっぱり寝ていて、寝言を言っているのが可愛かったとか、そんな他愛ないことだったが、は自分の想いを打ち明ける相手ができたのが嬉しかった。
秀の前だと上がってしまってろくに口も利けないのに、【シュウ】が相手だと恋する気持ちを素直に話せるのも不思議だった。
【：シュウさんと話しているみたいに、彼とも気軽に話ができたらいいのに】
そう打ちこんでから、は自分のセリフに苦笑した。【シュウ】は所詮、パソコンを隔てた相手、夢の世界の住人と会話しているようなものだ。現実に、ここまで本音で語り合うことなどできるはずもない。ところが、その言葉に【シュウ】が反応した。
【シュウ：なあ、一度、学校でオレと会ってみない？ 天空が言う『オフ会』ってヤツ、やってみようぜ】
【：オフ会？】
【シュウ：いつもパソコンで話してるヤツと、実際に会う集まりのことを『オフ会』って呼ぶんだろ？ チャットじゃなくて、実際にオレと会って、しゃべってみたら、さんも好きなヤツともっと気軽に話せる練習になるんじゃねー？ あ、もちろんさんが嫌ならムリしなくてもいいんだけどさ。オレもちょっと、さんと会ってみたいなーなんて思ったわけ】
どう答えようと思案しつつも、は胸がドキドキしてくるのを抑えられなかった。現実には決して触れ合わない存在だと思っていた【シュウ】が、急に形を取って迫って来ることに緊張と興奮を覚える。
もし、これが他のメンバーが出した提案だったら、は体よく断っただろう。だが、不思議なほど【シュウ】には安心感を抱いていて、【シュウ】となら会ってみたい気がした。
【：いいよ。やってみようよ、オフ会】
【シュウ：じゃあ、明日、放課後に正門前の、初代校長像の前で、オレは待ってる。額に黄色いバンダナを巻いていくから、すぐ分かると思う】
【：それなら、あたしは】
が自分を示す物を思いつく前に【シュウ】の言葉が打ちこまれた。
【シュウ：さんは何も準備しなくていい。オレの顔を見て、気に入らなかったら、通りすぎてくれ】
【：だって、それじゃ、もし、あたしが声をかけなかったら、待ちぼうけになっちゃうかもしれないんだよ？】
【シュウ：構わねーよ。さんは女の子だし、知らねー男と会うのが、急に怖くなることだってあるかもしれないだろ？ その点、放課後なら、正門を通って帰る生徒も多いし、オレはさんが誰か分からないから、オレの顔だけ黙って眺めて、帰ってもいいから】
【シュウ】は優しいと、はつくづく感じた。あえて自分だけ正体をさらす真似をして、には逃げ道を作ってくれている。はあえて、その優しさに甘えてみようと思った。
【：ありがとう。じゃあ、明日の放課後、校長像の前で会おうね】
【シュウ：正門が閉まる時間まで、漫画でも読みながらのんびり待ってるから、いつでも好きな時間に来いよ】
それだけ約束して、その日のチャットをは終えた。
☆★☆★☆
翌日、正門に向かおうとして、は【シュウ】があえて逃げ道を作った理由を、つくづく思い知った。
今まで散々、いろいろ話した相手なのに、いざ【シュウ】に会おうと思うと、怖くてたまらない。なにせ【シュウ】の外見も学年もなにひとつ分からないのだ。チャットで話した限りでは優しいし、紳士的で、信用できる人物だと思う。だが、チャットで見せる姿が決して全てではないことは、自分自身もチャットをしているには良く分かる。
【シュウ】と会うと考えただけで足が震え、このまま顔すら見ずに裏門から帰ろうかと思う。…いや、実際、そうしかけた。学校指定の靴を履いて、裏門に向かいかけたの足を止めたのは、『正門が閉まる時間まで待つ』という【シュウ】の言葉を思い出したためだった。
用務員が正門を閉めるのは午後７時。放課後開始は４時。あえて自分に不利な条件を提示してくれた【シュウ】を、３時間も待ちぼうけにするのは、あまりにも気の毒に思われた。それでも構わないと言ってくれたとは言え、いつも親身になって話を聞いてくれる【シュウ】に辛い思いだけはさせたくなかった。
「…約束は守らなくちゃ」
呟いて、は精一杯の勇気を振り絞り、正門に向かった。心臓が今にも破裂しそうで、内臓はジェットコースターにでも乗っているかのように、でんぐり返っていた。緊張し過ぎて、吐き気がするのを、ぐっと歯を食いしばってこらえ、校長像に近づく。
巨大な校長像の真下の芝生にあぐらをかき、漫画を読んでいる少年がいた。うつむいているせいで、顔は良く見えないが、額に黄色いバンダナがはめられているのはしっかり分かる。
【シュウ】だ。は緊張のあまり、息苦しくなりあえいだ。一歩一歩と【シュウ】に向かって踏み出す足が、鉛でできているかのように、ひどく重い。
『…約束…したんだもん』
もう一度、勇気を出すために心の中で呟き、は心臓をバクバク言わせながら、少年の前に立った。精一杯、声を張り上げる。
「あのっ、【シュウ】さんですか!?」
「お、おうっ！？」
少年が慌てた様子で漫画を放り出し、顔を上げた。途端に、の呼吸が文字通り止まった。そこにいたのは、の片想いの相手、秀麗黄だったのだ。
ほりほりと紺色の髪をかきながら、秀麗黄はを見上げた。妙に納得した様子で、しみじみと秀は呟いた。
「【】さんは…さん…だったんだ」
は逃げ出せるものならその場から逃げ出したかった。片想いの相手とも知らず、散々、その当人に寝顔が可愛いだの、寝言がどうだのと言ってしまったのだから。
硬直したままのに、秀はゆっくりと立ち上がった。藍色の瞳がの瞳を覗きこみ、ぎこちなく切り出した。
「あの…さ、うぬぼれだったら、ごめんな。…もしかして、【】さんが…さんが好きな相手って…オレ…だったりしねーのかな。…オレ、いつも選択授業中、寝てるしさ。たまに寝言も言ってるみてーだし。で、選択授業でオレの隣に座ってる女の子って、さん以外、思いつかなくって。…だから、もしかして、【】さんって、さんじゃねーのかなって、ずっと気になってたんだ」
そして、秀は真面目な顔でに告げた。
「実際に会ってみて、【】さんがさんだったら言おうと思ってたんだ。…選択授業の時、オレもさんのこと、ずっと気になってた。いつだって、もっと話してみたいって思ってたんだ。寝てる振りして、隣のさんを薄目開けて観察してたこともあるんだぜ」
の中で突然、涙が弾けた。言葉は何も出なかった。好きな人が自分のことを想っていてくれたことがただ嬉しくて、胸がいっぱいになるほど、せつなかった。
「さん…!?」
秀がおろおろしているのが分かったが、涙は止まらなかった。うつむいて、はすすり泣いた。
おずおずと秀の手が伸びて来て、そっとの頭を優しく幾度も撫でた。その手の暖かさが嬉しくて、ますます涙が止まらなくなった。
結局、が泣き止んだのは、十分近く、散々泣きじゃくった後だった。人通りのある正門前のこと、さぞかし秀は気まずかったに違いなかったが、辛抱強く傍にいて、頭を撫でてくれていた。
やっと泣き止んだは赤い目のまま、秀にたどたどしく伝えた。
「…あたしが好きなのは、あなた、です」
ぱあっと秀の顔が明るくなった。
「よかった。オレのカン違いじゃなくて」
その笑顔に見とれながら、は照れくさくなって呟いた。
「…あたし達、知らない間に知り合って、たくさん話していたんだね」
「ああ。でも、これからはパソコンを通してじゃなくて、こうして現実でいくらでも話ができるだろ」
差し出された秀の手をきゅっと握り締め、は「うん」とうなずいた。初めて握った秀の手は大きくて暖かく、少しごつごつと硬かった。
パソコンでは感じ取れない、リアルな【シュウ】がそこにいた。そして、これからもっと【シュウ】…秀のことを自分は知ることができるのだと思い、は幸せな気持ちに包まれた。
が【天空】や【ＲＹＯ】、【礼】、そして【ａｑｕａ】と現実でも仲良くなっていき、【ＲＹＯ】の友達の【白炎】というのは、実は巨大な白虎だと知って、仰天したりするのは、これからの物語。
＜終わり＞
＜あとがき＞
チャットネタ、一度やってみたかったんですよ〜！ 夢＝ネット世界、うつつ＝オフライン世界ってことで。
案外、チャットの会話を考えるのが難しかったです…。その分、長くなっちゃいました（汗）
でも、現実はそう甘くありませんから、チャットやオフ会で女の子の個人情報を聞き出そうとする不届きな男もいるらしいですし。
インターネット上は出会うのは簡単だけど、こじれるのも簡単。情報が漏れるのも簡単。とにかく要注意！です。
あと、バレバレですが、トルーパーを詳しくご存知でない方のために一応、チャットに登場した人物たちの正体をばらしますと、
【天空＝当麻】【ＲＹＯ＝遼】【礼＝征士】【ａｑｕａ＝伸】です。お洒落なハンドルネームが思いつかなくてすみませんm(__)m
「夢うつつ」のイメージ絵を摩天楼さんが描いてくださいました。夢絵に興味のおありの方はこちらからどうぞ