Ｔｉｍｅ ａｆｔｅｒ ｔｉｍｅ
「あんたたちに、私の気持ちなんて、どうせ分からない！」
親への捨てゼリフを残し、は制服姿に学校指定のカバンを持ったまま、家を飛び出した。あいにく行くあてなどはなかった。
自宅の最寄り駅からターミナル駅で降り、駅前のバス停から何も考えず、一番最初に来たバスに飛び乗った。それは、市の中心街から離れて、緑の多い別荘地へと抜けるバスだった。
バスが街並みからどんどん離れていくうちに、最初は多少、雲の多い青空だったのが、次第に雲の数を増やし、とうとう空全体が濃灰色の雲にすっぽりと覆われてしまった。現金を補充しておかなかったことを後悔しながら、財布の中のお金がなくなるギリギリのところで、降車ボタンを押し、はバスを降りた。
濃灰色の雲はどす黒さを増し、とうとう最初の雨の雫がの額を濡らした時、彼女は別荘地へと続く、舗装された二車線道路の脇をとぼとぼと歩いていた。運の悪いことに傘の持ち合わせはなかった。
最初は小雨だったが、次第に雨足は強くなり、とうとう土砂降りの雨にさらされ、は全身、びしょ濡れになってしまった。
唯一の荷物であるバッグを頭上に掲げて、雨を防ぎながら、雨宿りできるところを探す。だが、見渡す限り、舗装された道路しか目に入らなかった。途方に暮れているところに、いきなり背後から声がかかった。
「そこの制服のあんた、こんなところで何してんだ？」
振り返ると、自分と負けず劣らず、びしょ濡れの少年が立っていた。と同年代だろう。紺色の髪に黄色のバンダナをはめ、同じ紺色の丸い瞳に、いかにも人が好さそうな丸顔をしている。ランニングの途中にでも雨に降られたのか、少年はジャージにスポーツシューズを履いた格好だった。
「別荘地なら、まだ当分、先だぜ？」
不思議そうに首をかしげて尋ねられ、は寄る辺のない家出少女なりに、精一杯、突っ張って答えた。
「分かってます。別荘地に用がある訳じゃないんです。雨宿りの場所を探しているだけ」
の答えを聞いた少年は、ちらりと考える素振りを見せると、いきなりニカッと笑った。
「この近くに、俺が居候させてもらってる家があるんだ。良かったら雨が止むまで家に来ねーか？ 大勢集まってる、合宿所みてーな家だから、気なんか遣わなくて全然構わねーし」
は突然の申し出に仰天し、当然のごとくためらった。なんと言っても名前も知らない初対面の相手の、それも居候しているとかいう家に行けるはずがない。だが、自然体で話しかけて来る少年の瞳は明るく、歯切れの良い口調は頼もしげで、どこか信頼して、頼ってしまいたくなるような、親しみやすさがあった。
「この辺にある家って言ったら、うちくらいだし、このままじゃ雨宿りする場所を見つける前に風邪ひいちまうぜ？ 他に行くあてがあるなら別だけどさ。あてがねーならついて来いよ。……あ、そうだ。俺の名前は秀麗黄って言うんだ。あんたは？」
無邪気な問いかけに、荒んだ気持ちもつい、もろくなって、は素直に名乗っていた。
「です。……それなら、雨宿りさせてください」
「じゃあ、俺について来いよ」
秀に案内されるまま、その後をついて行く。小走りに五分も進むと、湖が現れ、そのほとりにロッジ風の別荘がぽつんと一軒見えてきた。
鍵が開いたままだった玄関のドアを秀が開けると、待ち構えていたように声がかかった。
「お帰り、秀！ どうせ、びしょ濡れだろう？ お風呂沸いてるよ。だから傘を持って行ったほうがいいって忠告してやったのに」
そう言いながら現れたのは、茶色の髪に碧の瞳の少年だった。や秀と同年代の、少女めいた顔立ちの少年は、を見て瞳を丸くした。
「あれ？ お客さん？」
同時に階段と思しき方面から、バタバタと駆け下りてくる足音が聞こえて来た。
「秀が帰って来たのか！？ 外は土砂降りじゃないか。大丈夫なのか……って、えっ！？ 誰だ、その子？」
現れたのは、黒髪に蒼い瞳の少年だった。これまたと同世代であり、びしょ濡れの少女を見て、見るからに当惑していた。
問い詰めるような二人の視線から、をかばうように、秀が一歩前に出た。
「道端で雨に降られて困ってたから、雨宿りに連れて来たんだ。構わねーだろ？」
「構うも何も、連れて来ちゃった人を、他にどうしろって言うのさ。とりあえず、これをどうぞ、お嬢さん」
顔に似合わず毒舌を吐くと、茶色の髪の少年はそれでも優しい仕草で、乾いたバスタオルを肩にかけてくれた。はおずおずと礼を口にした。
「……あ、ありがとうございます」
「こいつは伸。毛利伸って言うんだ。二階から降りて来たほうは真田遼。二人とも俺と同じ、ここんちの居候なんだ」
秀の言葉には慌てて、伸と遼に向かって頭を下げた。
「です。お邪魔してます」
「本当はあと同い年の仲間が二人と、ちびっこいヤツがいるんだけど、今はたまたま三人とも実家に帰ってる」
続けての秀の説明に、一体、この家には何人、居候とやらが住んでいるのだろうと考えて、は秀が『合宿所みてーな家』と言っていたのを思い出した。
立ち直りが早いのは伸が先だった。遼の肩をポンと叩いて朗らかに言った。
「遼、ナスティが二階の研究室にいるから、さんの着替えになりそうな服はないか、聞いてきてくれないかい？ 僕はタオルをもう一枚、取って来るから」
「ああ。分かった」
二人の少年はそれぞれ姿を消し、先に伸が戻って来た時には秀の分のタオルを手に持っていた。と秀が靴を脱がずに、玄関に立ったままで体を拭いていると、栗色の長髪に緑の瞳をした十八、九才くらいの女性が、遼を伴って玄関に現れた。秀が親指で女性を指す。
「ここの家主。俺たちの姉さんみたいな人なんだ」
「事情は遼から聞いたわ。初めまして、ナスティ柳生です」
穏やかに微笑む女性に向かって、は慌てて頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしてすみません。です」
「着替えは私の昔の服で間に合いそうね。まずはお風呂に入って来て。その間に服を用意しておくから」
「あの……私、雨宿りをさせていただくだけのつもりだったんです。お風呂や着替えまでお借りしては申し訳ないですから」
が断りかけるのを秀がさえぎった。
「ここの家では、余計な気遣いはしなくていいって言ったろ。それより風呂が冷めちまう。俺も待ってんだから、早く入って来いよ」
「じゃあ、秀さんが先に……」
『ストップ！』と大げさなまでの身振りで、秀はの言葉を途中で止めた。
「女の子をびしょ濡れのまま、待たせておけるわけねーだろ。伸、風呂場に案内してやってくれ。俺は暖炉で暖まって来る」
「じゃあ、秀には温かい飲み物でも淹れて来てやるよ」
「助かるぜ！ サンキュ、遼！」
遼が申し出て、キッチンへ向かったのだろうか、すたすたと屋敷の奥のほうへ歩いて行った。遼に続いて、秀もさっさと靴と濡れた靴下を脱いで玄関から上がり、玄関にまだ立ち尽くしたままのを振り返って親指を上げて見せた。
「それから秀『さん』ってのもなしな。俺のことは秀って呼んでくれ。その代わり、俺もって呼ぶから」
「あ、はい！」
がうなずくと、満足げに笑って、秀はその場を立ち去った。続いてナスティも玄関から去る。
「じゃあ、さんもどうぞ上がって。お風呂場まで案内するからね」
残った伸にうながされて、は覚悟を決めた。伸に連れられて、洗面所に続く浴室に案内される。濡れた服を脱いで、湯船に浸かる。湯船にたっぷり入った熱めのお湯と、シャワーから出るお湯は、雨で冷えきった体を温め、を生き返った心地にさせてくれた。
風呂から出ると、脱いだ洗濯物は既に洗濯機の中で回っており、風呂場に続く洗面所には新しいバスタオルの他に、着替えが置かれていた。ナスティの昔の服だろう。上品なワンピースを着て浴室を出ると、入れ違いにバスタオルを巻いた秀が洗面所へ駆け込んで行った。
その後は、暖炉のあるリビングに案内され、美味しい紅茶とクッキーを伸に出してもらって、それを摘まみながら、は雨が止むか、せめて小降りになるのを待った。
ところが、土砂降りの雨は一向に止む気配を見せなかった。洗濯してもらった制服もなかなか乾かない。次第に日も暮れ始める中、言い出したのはナスティだった。
「ねえ、良かったら、今夜は泊まっていかない？ うちは部屋も空いてるし、お宅には電話で連絡を入れて、お許しをもらえないかしら」
威勢良く啖呵を切って飛び出して来た以上、家に帰り辛いのはも同じで、実にありがたい申し出だった。だが、あまりにもずうずうしいのではないかと遠慮が先に立った。断ろうと口を開く前に、秀の腕ががっしりと肩に回った。
「泊まってけよ。伸とナスティの作る飯は美味いんだぜ！」
「……でも、これ以上、ご迷惑をおかけするわけには……」
「かまわないわよ。いつももっと賑やかなくらいだもの。……それに、あなたみたいな年頃の女の子が、何か理由があって、一人でここまで来たんでしょう？ 一日くらい、全然違う場所で、話したことのない人たちと一緒に、ゆっくり過ごしてみるのも、いい気晴らしになるんじゃないかしら」
家出して来たことを直接、話したわけではないのに、ナスティはの想いを全て悟っているようだった。その姉のような優しさに、は思わず深く頭を垂れていた。
「……ありがとうございます」
自宅に電話を入れると、少々もめたが、ケンカ腰のからナスティが受話器を受け取って、「お嬢さんは責任を持って、こちらで預からせていただきます」と、穏やかな釈明を辛抱強く続けてくれた結果、の両親も「一晩だけなら」と外泊を了承してくれた。
秀の言った通り、伸とナスティの手料理だという夕飯はとても美味しかった。二階の客用の寝室をひとつ空けてもらい、ナスティのパジャマを借りて、は休むことになった。
時計の針が十二時を示す頃、枕が替わったことや、家出をした興奮がまだ覚めやらないせいで、なかなか寝付けなかったは、何度か寝返りを打った後、とうとう起き出すことにした。キッチンで水でも飲もうと考え、はそっと部屋を出た。
足音を忍ばせていたのにも関わらず、すぐに同じ階の部屋のドアがひとつ開き、パジャマ代わりなのだろう、トレーナー姿の秀が出て来た。
「眠れねーのか？」
「……うん」
うなずくに、秀は親指で階下を示した。
「下へ行こうぜ。秀様特製のハチミツ柚子入りホットミルクでも作ってやるよ」
「もしかして、秀ってお料理ができるの？」
驚いて尋ねると「あったりめーじゃん。俺ん家、横浜の中華街じゃ、ちったあ知れた店なんだぜ」と得意げな返事が返って来た。
「家庭料理みたいなのは、伸のほうが上手いけどな。中華料理以外でもホットミルクくらいは、ちょちょいのちょいだぜ」
秀がキッチンに立っている間、はリビングのカーテンと窓を少し開けて、ぼんやりと雨音を聴いていた。
やがて、良い香りを漂わせたマグカップを片手に、秀がキッチンから出て来た。と並んで立ち、マグカップを手渡しながら、秀もまた雨音を確認したようだった。
「だいぶ小雨になって来たな。明け方までには止んで、明日の朝にはいい天気になるって、伸が言ってたぜ。雨に関しては、伸の天気予報は当たるんだ」
は秀に礼を言ってコップを受け取り、窓を閉めて、リビングのソファに腰かけた。用意されたのは桜がデザインされた可愛らしいマグカップだった。
マグカップに口をつけて、ゆっくりとミルクをすすりこむ。ほんのりと甘い味が、温もりと共にじんわりと喉を潤して行った。
「……美味しい」
呟いて口元を緩ませ、同時に寝つけずに緊張していた気持ちがほぐれていくのに気づく。
窓越しに聞こえる静かな雨音、柔らかいリビングのソファ、美味しい飲み物、全てが荒んだの心を癒してくれるようだった。こんなにもゆったりとした気分になれたのは、一体、何ヶ月ぶりなのか、自身も分からなかった。
ぽつっ。マグカップにの涙の雫が落ちた。慌てて手で押さえるが、一度零れた涙はなかなか止まってくれない。ごしごしと両目をこすっていると、ふいにマグカップが取り上げられ、背中に温もりを感じた。
「泣いたっていいんだぜ。今はここには俺しかいねーから、思いっきり泣いちまえ」
その言葉に励まされるように、顔を両手で覆って、思う存分、は泣いた。その間、秀はずっとの背中を撫でていてくれた。
涙も出尽くして落ち着いた頃、秀はの隣に座って、話を聞いてくれた。
は自分が中学三年生で高校受験を控えていること、志望校になかなか偏差値が届かないこと、そんなに対して、親や担任の教師が苛立ちを隠さないことや、自身、自分へのもどかしさから、周囲の友達とも上手く対話できなくなってしまったこと、そして、いつのまにか、何のために高校に行きたいのかも分からなくなって来たことを、ぽつぽつと語った。
「そーか、受験かあ！」
ふいに明るい声音で言われて、はぎょっとした。秀は実に嬉しそうな顔で、自分の顔を指差した。
「俺と遼も中三。あと二人も入れて、四人そろって休学してっけどな。このままだと俺、頭悪いし、高校浪人かもしれねー。あ、伸も休学してっけど、高校一年生なんだ。あいつは同い年でも早生まれだから」
とっさに言葉が出なかった。真剣に話したことを、まるで楽しい出来事のように返されて、馬鹿にされたようには感じた。
「……どうしてっ！？ どうして、そんなに簡単に休学とか、浪人とか言えるのっ！？ 私はこんなに悩んでっ、家にも学校にも、どこにもいられなくて……っ！」
苛立ちのままに振り上げた拳は、想像以上に強い力で受け止められた。紺色の瞳が包みこむような優しさと真剣さを帯びて、を見つめていた。
「ごめんな。俺、普通の学生生活ってヤツ、しばらくしてねーから、なんかそういう話を聞いて、懐かしくて、ついはしゃいじまった。の辛い気持ち、考えてやれなくて、本当にすまねー。……けどな、本当に俺、が羨ましいんだ」
素直な秀の態度に、の手から徐々に力が抜けていった。
「俺もみたいに、今頃、受験で悩んでみたかったな。親父やお袋に怒られたり、先生に呼び出し食らったりさ。ずっと会ってねーけど、同じクラスの連中とか、元気にやってんのかなあ」
遠い目をする秀の態度に、朗らかな彼の背後にも、深い事情があることを、は感じ取らずにはいられなかった。
『普通に受験生としての生活を送れることが羨ましい』
そう感じる同い年の少年がいるというのは、にとってカルチャーショックだった。拳を下ろして、は謝罪を口にした。
「ごめんなさい。親切にしてもらってるのに、カッとなって、殴りかかったりして」
「俺、カンフーで鍛えてるんだ。あれくらい屁でもねーって」
明るく笑って、秀は二の腕の筋肉を盛り上げて見せた。秀らしい反応には思わず笑ってしまった。
胸のうちに溜まった不安も怒りも悲しみも、想いは秀に全てぶつけて、吐き出してしまった。最後にの胸の内に留まったのは、秀の笑顔の温もりだった。
「ありがとう、秀」
そう告げると同時に、穏やかな眠気がを包みこんだ。それと悟ったのだろう。秀が頭を撫でてくれた。
「もこれで、やっと眠れそうだな。もう遅いから、部屋に戻ってゆっくり休めよ」
「うん」
素直にうなずくと、部屋の前まで秀は送ってくれた。真っ直ぐベッドに入ると、同時に深い眠りの淵には落ちていった。
ぐっすり眠った翌朝。まどろみの中で、激しい水音と何かがぶつかるような金属音を聞いて、は跳ね起きた。目が覚めても音は続いている。どうやら外から聞こえて来るようだった。
慌てて部屋の窓を開けて、外の様子を伺い見る。すると、幾人かの人影が、湖のほとりでもみ合っているのが確認できた。人影がぶつかるたびに金属音がする。原因は分からないが、争っている気配が感じ取れた。何となく嫌な予感がしたは、急いでパジャマから、一晩でようやく乾いた制服に着替え、部屋を出た。
柳生邸の中は静かだった。否、静かすぎた。家の中にいれば当然、騒ぎは聞こえているはずなのに、誰も飛び出して来るどころか、邸内は誰もいないように静まり返っていた。
やはり、何かあったのだと本能的に悟り、二階から一階に駆け下り、外に出る。湖に向かって近づいた瞬間、足音に気づいたのだろう。湖の傍でもみ合っていた人影の一人が振り返り、叫んだ。
「来るなっ！」
よくよく見れば、湖のほとりで戦っているのは、異様な服装をした二人の人物だった。一人は灰色の戦国時代の侍が着る鎧のような物をまとった巨大な人物、そして、もう一人は、橙色のやはり戦国時代の侍が着るような鎧を着ていた。
こちらを向いて、再度怒鳴った顔と声でようやく気づく。橙色の鎧を着ているのは秀だった。
「危ねーから、こっちへ来るな！ 家の中に戻れ！」
そう叫ぶ秀に向かって、灰色の鎧武者が手にした得物を振り下ろす。それは死神を思わせる鎖鎌だった。秀は腰を落とし、ごつごつした長い棒のような得物で、鎌をがっちりと受け止めた。ガキーンッ！ 硬い物同士がぶつかる鈍い音が響く。
突然、再び水音がして、湖から何かが飛び出して来る。飛び出して来たのは秀が向き合っているのと同じ、灰色の鎧武者だった。鎧武者はに気づき、視線をこちらに向けた。離れた距離にも関わらず、こちらをギョロリと向いた目玉に射すくめられ、は動けなくなった。
続いて、その後を追うようにして水を蹴立てて、湖から飛び出して来たのは、やはり水色の鎧を着た少年だった。兜から覗くその顔から、それが伸だと言うことが分かった。灰色の鎧武者はたちまちへの関心をなくして、伸に顔を向けた。の目の前で、鎧武者は鎖鎌、伸は長い銛のような武器で戦い始める。
「……何これ？ 何かの撮影……？」
膝がガクガクと震えて、思わずその場にへたりこみながら呟く。だが、の本能が、自分が今、居合わせているのは、生死をかけた戦いの場であることを告げていた。なによりも、こちらを向いた鎧武者の目玉に浮かんでいた、純粋なまでの殺意が、生まれて初めて、に心臓を縮み上がらせる程の恐怖を覚えさせていた。
「伸！ 秀！」
赤い鎧を着た黒髪の少年―遼が、湖の反対方向から走って来る。遼は到底、人間技とは思えない跳躍力で、秀と向き合っている鎧武者にぶつかって行った。遼の勢いに鎧武者が吹っ飛ばされる。
「この妖邪兵は俺に任せろ！ 秀はさんを連れて、ナスティのところまで逃げてくれ！」
「分かった。すまねー、遼！」
その一言で秀は身を翻した。やはり超人的なスピードでのところまで駆け寄ると、片手で軽々とを抱え上げ、走り出す。
「……秀？ 一体、どうなってるの！？」
の問いかけに真剣な顔で秀は謝った。
「ごめんな。を巻きこむつもりはなかったんだ。俺たちと関わらせちまった、俺の責任だ」
「分かんないよ。秀たちに襲いかかっていた、あの灰色の人たちは誰？」
「半年前、東京を廃墟にしちまったヤツの手下だ」
秀の言葉はには理解できなかった。半年前、新宿を中心に東京に異変が起こり、数ヶ月かかって、復旧した。政府の発表では局地的な大地震の結果、新宿を中心に首都が壊滅的な被害をこうむったということになっていた。だが、秀が嘘をつくような人物でないことも、同時に直感で感じ取っていた。
ナスティの家まで来ると、既にナスティは愛車のパジェロの運転席に乗って、エンジンをかけていた。秀に連れられて来たを、ナスティはうながした。
「助手席に乗ってちょうだい。ここは危険よ。とにかく安全なところまで送るわ」
準備良く、のカバンが既に助手席には置いてあった。言われるまま、が助手席に乗ると、秀は運転席のナスティに声をかけた。
「を頼む」
「待って。秀はどこに行くの！？」
思わず助手席から身を乗り出して尋ねると、秀はニコリと笑った。が振り上げた拳を受け止めた時と同じ、包みこむような笑みだった。
「あいつらをやっつけて来る。二人欠けてるから、今は俺一人でも戦いを離れるわけにはいけねーんだ」
一瞬、秀の右手がそっとの頬に触れた。硬い鎧ごしに触れた手は、それでも温かかった。
「怖い目に遭わせちまってごめんな。受験、頑張れよ」
「秀！」
それが永遠の別れの挨拶のように思えて、思わずその名を叫んだが、秀はそのままパジェロに背を向けて走り去った。同時にナスティも車を発進させた。
車内でナスティには問いかけた。
「どこへ行くんですか？ 秀は……伸さんや遼さんは大丈夫なんですか！？」
「皆は大丈夫。あたしはさんのお家まで送ることにするわ」
「教えてください。秀は一体……」
ナスティは穏やかだがキッパリと頭を横に振った。
「さんはこれ以上、秀たちの事情を聞かないほうがいいわ。知ってしまえば、危険が伴って来てしまう。あなたは今、自分自身と戦っている、大切な時期でしょう？ 秀もまた、別の戦いをしているの。秀たちの戦いに巻きこまれたら、さんの人生が変わってしまう。秀はきっと、さんを巻きこむことを望んではいないわ」
は言葉が出なかった。膝の上のカバンを強く握り締める。『何が何でも事情を知りたい』とは言えなかった。『秀はきっと、さんを巻きこむことを望んでいない』というナスティの言葉が、『受験、頑張れよ』と言い残した秀の言葉に重なる。ナスティの言う通り、秀の性格ならば、きっと『俺のことなんか心配すんな。は受験に専念しろ』と言うに違いない。
『知りたい』と言いたいのに口に出せない、そんなの悔しい想いを感じ取ったのだろう。ナスティの口調が優しく変わった。
「大丈夫。終わらない戦いはないのよ。さんも、秀も、いつかきっと違う形で再会できるわ」
それ以外、ナスティは何も話さなかった。そして、はそのまま自宅に送り届けられた。その日以降、が柳生家を訪ねることはなかった。
たった一晩、家を空けた後、帰宅しても、受験生であるの現実に変化が起こったわけではなかった。だが、同じ日本のどこかで秀が謎の敵と戦っているという想いが、どこか荒んでいたの気持ちを変えた。
時に、ひどく秀に逢いたくなる時もあり、柳生邸へ向かいかけた時もあったが、途中でやめた。ナスティの言葉に従い、秀に会わないこと、受験に専念することが、なんとなく秀へのエールになるような、そんなジンクスめいた想いがにはあった。
秀への想いを内に秘めたまま、は自分の戦い――受験勉強を頑張った。
そして、半年が過ぎた。桜咲く春。新しい制服を着て、はかつての志望校であり、今日から母校となる高校の校門前に立っていた。入学式はあいにくの雨で、門前の満開の桜も儚げな様子で、雨に打たれている。
高校の正門をくぐる前に、はぼんやりと傘を差したまま、立ち尽くしていた。新しい学校生活が始まる不安やいろんな思いが、門をくぐる足を止めていた。そして、なにより気になっていたのが、『同じ中三だ』と嬉しげに言っていた少年が、今、どこでどうしているかということだった。
「そこの制服のあんた、こんなところで何してんだ？」
ふいに背後から声がかかった。聞き覚えのある、懐かしいセリフに思わず、は振り返っていた。
そこには、同じく傘を差し、同じ高校の制服を着た男子生徒が立っていた。紺色の瞳が優しく微笑む。
「元気だったか？ 」
「秀！？」
自分の目が信じられず、とっさに動けなかった。そんなに照れ臭そうに秀は頭をかいた。
「仲間にすっげー頭のいいヤツがいてさ。と同じ高校へ行きたいって言ったら、過去の問題集を引っ張り出して、ヤマ張ってくれたんだ。それがまたビシバシ当たりまくってくれて、おかげで今日、この格好でここに来れた」
の瞳から大粒の涙が膨らんだ。
「私、ずっと秀に会いたかった。話したいこと、いっぱいあるんだよ」
「俺も。話さなきゃならねーことがいっぱいあるんだ」
遠く離れていた戦友に向かい、は傘を放り出して、思い切り飛びついた。秀は両手を広げて抱き止めてくれた。
揃いの制服姿で抱き合う、幸福そのものの二人を祝福するように、穏やかに桜雨が降り注いでいた。
＜終わり＞
＜あとがき＞
イベント販売用に製作した、ＣＤ−Ｒ版ドリーム小説に掲載していた秀のドリーム小説です。
ＣＤ−Ｒですので、焼き増しすれば、何枚でも作れるのですが、
最初に作った枚数が完売しましたので、若干修正して、サイトに掲載することにしました。
購入して下さった方申し訳ありません。
次はいつ更新できるかお約束できませんが、気長にお待ちいただけるとありがたいです。
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